動画の無為

これからのSNS発信は「動画でなければいけない」「動画は縦型動画でなければいけない」などという。スマホを基準を合わせろということなのだろう。
SNSに写真を上げると24時間で消えるというサービスもあるという。知人が、どこかにでかけて、そこで食べたり飲んだりしたものを、その24時間サービスにアップしているという。
「アップするのに5分。フォロワーが仮に100人いれば視聴1分として100分の消失」「意味も価値もない労作」「無為」「無意味」「情報は価値の蓄積であるべき」などと言っても無駄。
2月26日、27日は、それぞれ誕生日を迎える人がいたので菓子を作った。YouTubeで「ヨーグルトケーキ」と入れると山のように出てくる。作り手は、いずれも「簡単」「うまい」と口をそろえる。
実際に作ってみると確かに簡単だけれど、うまくはない。まずくもない。防腐剤や着色料が入っていないから健康にはいい。うまくない原因は「砂糖」をどれだけ入れるかにかかっている。なぜなら、「お菓子」だから。
そこで、冷凍のブルーベリーやミックスのドライフルーツを多めに入れたが、砂糖が足りないといわれた。
「動画の無為」とは、素人が動画制作を見よう見まねで、きれいな動画を作れるようになっている。が、料理の本質は、そこではない。コツとか文字で伝えられないところに動画の真価があるはず。
卵4個を1個ずつ割ってかき回す動画を流しても時間稼ぎでしかない。しゃべりもせず文字をテロプで流して、聞きたくもない音楽を流すのにもうんざりする。動画の出来栄えが以前よりは、マシになっているようだけれど、本質はソコではない。
切り抜き動画
なにもさしたるコンテンツを持たなくても、人様の動画を切り抜いて適当なテロップや、自動音声を加えて、さも、それらしく作る動画が大量に出回っている。最近では石丸伸二さんの登場で、さらに「切り抜き動画」が全盛だ。
略せば「切り抜き動画」は所詮、「ヒトフン」。「ヒトの褌(ふんどし)担ぎ」
たしかに、フル動画で30分とか1時間だと見る気もしない。せめて、5分、長くても8、9分以内に収めてほしい。そこで活用しているのがYouTube動画を「gemini」で文字に要約してもらっていること。
それが英語なら「AI Summary」使って文字を起こして、それを「gemini」に要約してもらっている。
動画に紛れている「嘘」とは、「意図」になる。「意図」の底流にあるのは、情報の伝達ではなく「視聴時間稼ぎ」のための「欲望」に基づく「意図」にある。
作るのに時間かけ、見るのに時間を消費している。動画はそもそも「受動」であり、「能動」に比べると「無為性」が高い。つまり、動画が氾濫するほどに見る人たちは無気力・無思惟・馬鹿になる。
流通
ヨーグルトケーキの2回目作では、ヨーグルトとしての味がほとんどなくなってしまうのでカップのクリームチーズを入れたら少しマシになった。これで、製造原価がおおよそ800円。8カット位になるので1カットが100円。
いまどきの誕生日のケーキを買おうとすれば、3,000円くらいが相場。
原価500円くらいで工場償却や従業員給与。流通。店舗の経費。販売員の賃金。経営利益などを考えれば、原価の5倍くらいにはなっている。そのうえ、酸化防止剤、着色料。食えもしない梱包資材。
これなら、作る方が絶対にマシだ。
買うのは肉と魚とか野菜とか、自分で作れないものだけに限定するほうが国家として健全になるはずだが、経済が回り出せば、結局は無駄なものが氾濫し、そのことを含めて格差が広がる。
民主主義という愚民政治によって政治は必ず劣悪化をし、時間の中でみじめな国家へと転落していく。近隣国家との過去のいさかいを「歴史認識」だの「民族主義」だのと言い続けて対立を続けているのも、「民族」「ナショナリズム」などという言葉には、成長することを忌避する「意図」が含まれている。
まとめ
行動には「意図」がある。専制政治や独裁政治には「自由」に制限がある。
専制政治や独裁政治から解放されることを国家として「自由」という。現実には「金」に縛られているが、それは「能力」「努力」でカバーすることとなっている
自由になると人々の行動には自分なりの「意図」で行動できるようになる。
人間には「楽して儲けたい」という本能的な欲望がある。そこに生まれる「意図」には大量の「無為」が潜んでいるということ。
動画とは「流通している菓子」を食うようなもので、素材よりもコストを食べているようなものだ。