勘違い

ソフトバンクが携帯電話事業に参入した時の切り札は「iPhone」だった。あせったNTTやauは、iPhoneを超える性能のスマートフォンを作るようにメーカーに依頼した。

iPhoneは高性能・高機能で勝負を仕掛けてきたわけではなかった。ユーザーにとって「所有する」という喜びをもたらす道具だった。つまり、iPhoneは感性に直結するプロダクトだった。

考えてみればステレオアンプのマッキントッシュやマークレビンソンにも共通している。「性能じゃない」というと怒られそうだけれど、所有する喜びを放っているところが、性能本意の日本製との根本的な相違になっている。

オートバイのハーレーダビッドソンなんてのも、その部類に入る。

性能・品質を誇っているはずの液晶テレビでは、ヨドバシの店員さんは「韓国製のほうがきれいですよ」というくらいになってしまった。今日(2024.10.06)は栃木県の「もてぎ」でオートバイのレースをやっているけれど、ほんの数年前までは、勝つのはホンダかヤマハだったが、いまでは、この2社は参加することに意義を見出しているような存在になってしまった。

ホンダやヤマハのエンジニアは、きっとなにか「勘違い」をしていたのだろう。

明治元年に、日本は幕府ではなく日本政府として新たな体制でスタートした。官僚の多くは幕臣だった。その後77年経過して1945年に完膚なきまで叩き潰されて敗戦を迎えた。そして1945年に新たな政府として発足して79年経過した政治は、相変わらず陳腐な金の亡者が群れを成し、実質的には官僚が国家を動かしている。

「日本は優秀だ」「日本は豊かな国だ」という安穏は発想は、実は「勘違い」かもしれない。

立憲民主党の発表によれば、日本の国会議員の平均年齢は55歳だそうだ。直観的には、55歳より20歳くらい上の感じがするのは、テレビに出るのは爺様と婆様ばかりなのだからかもしれない。しかし、70歳以上の政治家は、次の選挙には立候補できなくすれば、平均は45歳より若くなる可能性がある。

大学の教授が65歳定年なんてのも、時代錯誤になりつつある。

日立では事業部長を45歳、課長を35歳にすると言っている。45歳で事業部長になったら50歳で役員になれなければ、平に格下げか子会社に格落ちになるのだろう。

終身雇用や年功序列などと言う雇用形態も陳腐sになっていかざるを得ない。

高齢社会になり、少子化による働き手不足を高齢者で補おうとしたり、定年を延長するような施策は、きっと社会が停滞していく。高齢者が貧しい社会は本人が悪いのではなく、国家運営が失敗しているだけのこと。しかし、その国家運営をゆだねている政治家は国民が選挙によって選んでいる。