大鏡:其13《帝紀-一条天皇》

円融天皇の第1皇子。生母は藤原詮子(藤原兼家の次女)。5歳で東宮に立ち、7歳で即位した。治世は25年。詮子は17歳で円融天皇に入内し、19歳で一条天皇を生んだ。藤原詮子は、道隆、道兼、道長の母・時姫と同母の兄妹であった。

  • 藤原詮子の母は魚名流の藤原中正の娘・時姫で国司の娘であった。
  • 地方官の娘が藤原兼家という北家本流の正室になっている。
  • 時姫は、藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子らを生んでおり、詮子は一条天皇を生み、道隆の娘の定子は一条天皇妃になり、道長の娘の彰子も一条天皇の妃になり後一条、後朱雀天皇を生んでいる。
  • つまり、時姫は藤原北家の隆盛を極める頂点を気づく人材を多く生んでいる。
  • 兼家の妻の1人であった藤原道綱母の『蜻蛉日記』にも、登場している。兼家の正室となった時姫に対する嫉妬のようなものも見え隠れしている。
  • 一条天皇は文学上においては重要な天皇となる。最初の皇后であった道隆の長女・藤原定子は「枕草子」として清少納言が書き残している。次の皇后になった道長の長女・藤原彰子に付いた女房は紫式部であった。
  • 時姫の父は藤原中正で、国司であった。当時の国司には財力があり、娘を摂関家に送り込むために、娘の教育に財産をつぎ込んだ。
  • 伊達氏は藤原中正の末裔であると称しているが、新井白石は疑っている。いずれにせよ、誰かの子孫であることは間違いがなく、時代が有能の士を世に出してくる。
  • 道長が全盛を迎える時代の天皇であり、「大鏡」としては重要な人材であるので、帝紀ではなく列伝で語られることとなる。