大鏡:其15《帝紀-後一条天皇》
この天皇は今上天皇(つまり世継と繁樹は後一条天皇の御代に出会ったということ)。生母は藤原彰子で、藤原道長の長女。皇太后宮。
4歳で立太子。9歳で即位。29歳で崩御。
後見役は祖父でもある入道道長。叔父は関白左大臣頼通と内大臣教通(ともに倫子の子)。頼宗、能信、長家(彼らは明子の子)等の高官がいる。
古今を通じて天皇がいかに賢明であっても臣下が低劣であれば滅びてしまうものであるが今上天皇は全ての臣下が後見役なので心強い。
一条天皇が退位を決断した折に「筋道からすれば第1皇子(第1皇子は藤原定子が生んだ敦康親王)を皇太子にするべきところ後見役がいないので第2皇子をたてた」といったのももっともなことである。
- 藤原彰子の母は、源雅信の娘・倫子。
- 藤原彰子は、12歳で一条天皇の後宮に入り敦成親王(後一条天皇)、敦良親王(後朱雀天皇)を生み上東門院の院号を賜る。
- 頼宗、能信、長家の母は源高明の娘の明子。
「大鏡」による帝紀は、文徳天皇から後一条天皇までになる。藤原で言うと、冬嗣が嵯峨天皇に重用され、娘の順子を仁明天皇后にすることで文徳天皇の外祖父になることが、栄華のきっかけとなる。その最盛期が藤原道長となり、「大鏡」は、そのことを礼賛するために書かれている。
大鏡では帝紀は後一条天皇までとなっているが後朱雀天皇も藤原彰子の子で、藤原彰子は87歳という長寿で、関白であった弟の頼通、教通らに君臨した。
藤原彰子の妹の藤原妍子が三条天皇との間に産んだ禎子内親王は、後三条天皇を生み、その子が白河天皇となることで藤原摂関政治が終焉し、天皇による院政が敷かれることとなる。
禎子内親王は女院を宣下され陽明門院を号す。禎子もいまや国母として、かつての上東門院彰子にも劣らぬ影響力を持つに至った。上東門院彰子の死後、20年間にわたって影響力を持ち、82歳で崩御した。
ここで、世継と繁樹の会話になる。