天才の2類型
先天的天才と後天的天才のいるそうです。「後天的な天才」といっても、生まれつき平均以上の知能(IQ115~130前後)の持ち主が、適切な早期教育を受けることで、さらにその特性を伸ばし、高い能力を身につける「天才」のこと。
2018年でアメリカで「ギフテッド認定」を受けた子が6.8%あったそうです。
「後天的天才」は、日本人、韓国人、中国人などのアジア人に特に多くいるようです。アメリカでギフテッド判定を受けた子どもの人種構成を見ると、アジア人が他の人種の2倍近い割合だとか。
ポイントは「子どもの特性に合った教育」と「適切な教育の継続」が必要で、特に「後天的天才」には、油断することなく適切な教育を継続していかなければ、いずれは普通の人になってしまう。
磨き続けなければならないなら、その「天才」は「金」ではないようです。
ということから、著者は本の宣伝になります。「強みを生み出す育て方」という本だそうです。手遅れでない人は、買うなり図書館から借りるなりしてみてください。ちなみに、台東区には4冊あって、いま、22人待ちです。
楽器の天才が時々話題になりますが、楽器演奏の天才はいずれは「AI」で十分になると思います。スタインウェイのショールームで、「Steinway & Sons SPIRIO」という商品が見られるそうです。
これは、実際にスタインウェイで演奏家が弾いたのをデータ化して再現していますが、この先に、演奏家の演奏方法をAIで分析すれば、演奏家が弾いていない曲であっても、「この曲をグールド風に弾いて」のようなことができると思います。
データ化していなかった時代の演奏を、克明に再現したデータもあるようです。スタインウェイのショールームで、グレン・グールドの演奏を見せてもらっています。
話し戻して「後天的天才」は磨き続けなければ天才を維持できないとなると、なんだか幸せな感じがしません。かといって「先天的天才」だとしても、それも幸せな感じがしないのは、自分がぼんくらだからなのでしょう。
じゃ、ぼんくらが幸せなのかというと、それも幸せな感じがしません。友達が多いと幸せだという人もいますが、「友達」の定義を明確にしなければならないでしょう。
単に「仲がいい」だけなら大方は「仲がいいフリ」だと思います。人生において、加山雄三ばりに「幸せだな」というシーンがあったかと思うと、おそらく、それに該当しそうな出来事としては「ギザ十」を見つけたときと、道を歩いていて500円玉を拾った時ぐらいだったと思老います。
異性であれ、同性であれ、「君といるときが一番幸せなんだ」というような経験がありません。
原題は「Love is a many splendored thing」で、邦題は「慕情」。はたまた「ローマの休日」のようなドラマチックな恋愛がそうそうあるわけでもないし、大方は職場とかサークルのような身近なところで妥協の産物のような「恋」を成就させているような気がします。
「愛」があれば「たくさん素晴らしいこと」と同等だそうです。やはり、天才よりは異性にもてることのほうが幸せになれそうですが、複数の異性との思い出を役所や会社のパソコンに記録したり、選挙に勝った政党党首が女性とホテルにしけこんだりするのも、永続性のない「幸せ」のような気がします。
結局は、背伸びをしない、自分の身の丈(器)に合った生き方が、ドラマチックではないけれど、死ぬときにはさほど後悔しないで済みそうです。
ぼんくらの人生として目指すべきは「不幸ではない」ことをもって良しとする生き方なのでしょう。