子供の出す声は騒音か?

長野県では公園で遊ぶ声がうるさいとかで、公園が使用禁止になったことがニュースになった。東京都練馬区の住民が隣にできた保育園の園児の声がうるさく平穏に生活する権利を侵害されたとして損害賠償を求めたが、最高裁判所で上告が棄却になった。

ドイツでは、14歳未満が出す声や音は原則として有害ではないと法律で規定している。

ドイツでは1970年代から、児童保育施設の騒音を巡って住民が損害賠償などを求める訴訟をたびたび起こした。寛大な判決も出たが、2005年には施設の廃止につながる判決も出たりした。そこで法改正が必要になった。

ただし、子供の声を完全な「特権」としたわけではなく、個別の事情も斟酌するようではある。

日本では法制化が進む気配はない。

2024年10月26日土曜日であるけれど、近くの小学校では幼稚園の運動会をやっている。普通なら、大音響で音楽が流れマイクを使った音声での応援が聞こえるくらいの距離にいるけれど何も聞こえない。

運動会の音楽や応援が「騒音」と感じるかは、甚だ個人差があるだろうし、夜勤明けや徹夜明けなどの状況にもよるけれど、子供が大きな声を出さなければ元気に育つこともない。

こうしたトラブルの背景として、「子どものいない世帯や高齢者のみの世帯が増えた影響」があるそうだ。つまりは、少子高齢化が背景にあるということ。

防音対策と言うけれど、園庭で遊ばせずに体育館のようなところで遊ばせるようになれば、太陽を浴びることもなく健全性が確保されるのかも疑問のある所。

高校時代、不良が校舎の屋上でタバコを吸って校舎の裏の家に投げ入れていたけれど、こういうのは学校任せではなく警察を入れて取り締まるべきだ。

せめて小学校までの児童の声は、騒音除外するべきだと思う。運動会の放送までなくなると盛り上がりに欠けるので、騒音レベルが懸念される居住範囲の住人に伺いを立て、「否」とする住人の比率に対する指針を地域として決めるのもありそうだ。

国連のように「全員一致」のようなおためごかしをする限り、何も決められなくなる。ここは民主的に「過半数」を持って「是」か「否」かを決めるべきである。

そういえば、港区の青山に児童相談所をつくろうとしたとき、近在の住人が「青山のブランドにふさわしくない」として反対運動が起きた。これなどは噴飯物であって、一蹴するべきたわごとに過ぎない。青山なんて昔は何もなかったから墓場にしたような土地でしかなかった。