学力における遺伝と環境の影響

双生児の研究によると学業成績における遺伝的要因は、おおむね50%だそうだ。幼少期や小学校低学年の時は、環境要因が強く出るようだが、年齢が高くなるにつれて遺伝的要因が強くなる。

教科でいれば、算数・数学は遺伝的要因が低いというデータもあるようだ。というのは、算数・数学は日常生活で使うことがあまりないので、そうした能力を訓練することで他に比べて成績を上げることが容易になる。逆に読解や自然科学は環境要因が強く出やすいと言える。

とはいえ、高校数学くらいになると「論理性」「推論」「抽象化能力」のような遺伝的要素を強く求められるようになっていく。

算数・数学で言うなら中学レベルと高校レベルとでは、数学に対する理解の方法が変わるとも言えそうである。つまり、そのあたりからは遺伝的影響は、多少ともなり濃く出てくる可能性はあるが、単純に親が数学が得意だから子も数学が得意ということでもない。

学ぶ環境に置かれて初めて、脳の中にそれを理解し問題を解くための何らかの変化が起きだし、少しずつ理解の能力が高まっていくのであって、脳の中で起きる能力的なニューロンのネットワークが構築されなければ遺伝的要因を開花させることはできない。

単純化させて考えるとするなら、学力に対する遺伝的要因が50%あるとして、環境的要因は5%になるようだ。つまり、親がシャカリキになって子に勉強させれば5%は学力向上に影響を及ぼすことができうる。

生まれ持った能力が脳の中にあるとするなら、その能力がいかにして覚醒するのかになる。それは、環境的要因や習慣から次第に覚醒することもあるだろうし、ある日突然、脳内でネットワークの偶然的組合せから、たぐいまれなる能力が発露することもあるだろう。

前に読んだ本では、動物としての最低と最高の資質があるとして、「自然=摂理」は、平均への回帰を原則としているようだ。例えば、両親ともに平均より相当に足が速いとすれば、子は両親より足が速くなることは少ない。両親ともに平均より相当に背が高いとすれば、子は両親より背が高くなることは少ない。

種として平均への回帰があるから、種が維持できているともいえる。

とはいえ、平均的な容姿の両親からとてつもなく美麗な子が生まれることもあるように、遺伝子の組合せは想定内に収まることが通常であるけれど、想定外になることも確率として起きうることである。そうした変異と社会の要求が結びつくことで、集合としての思惟が望む方向に変化していくことも起こりうる。

論点は全く違うが、サイコロ4個を振って「24」が出る確率、あるいは「4」が出る確率は、どうなのだろうと思って調べてみた。乱数を使って10万回サイコロを4個振ってみた。サイコロ4個を振ると6が4個出る確率は「6の4乗」、つまり「1296分の1」になる。

これを合計数で「4~24」が出る確率を調べると各値の出現数は「4.7%」か「4.8%」の均等になる。

そこで「1~6」が4個出るようにして数値を合算してみた。

こうすると10万回サイコロふって、1のぞろ目が出るのは78回で、6のぞろ目が出るのは75回でしかなかった。逆に「13、14、15」で約50%になる。

しかし、遺伝要因が50%とすると、やはりしころで言えば「13、14、15」に収まってくる。環境要因が5%だとするなら、あとの45%は、偶然というニューロンの確率によって決まることになる。

世間では、とてつもない天才に注目が集まるが、サイコロ4個でさえ、24のぞろ目は1300分の1の出現なので、遺伝と環境要因を除く45%は、遺伝子の組み合わせになるのだろうけれど、凡愚の頭では想像がつかない。

世に出て、成功するかは「学力」だけでも決まるわけではない。何を「成功」とするかは置いといて、学生時代の社会学の先生が、最後の事業で言った言葉は「世の中で成功する要素は運・根・能」と言っていた。「運」と「能」はお任せするとして、自分でもできることとして「根気」は頑張れる。