心理と経済

【知覚】殆どの場合、人の認知は直感に依存している。のちに思考回路を経て、様々思考するのだけれど、時には直感のバイアスを払拭できないことも多く、最終的な判断に直感が犯しがちなエラーを含むことも珍しくない。

【適応】知覚は変化を捉えて認知する。どのような刺激に対しても我々の感覚や知覚は適応のレベルによって感じ方が左右される。つまり「変化」は際立ち、「状態」は無視されると考えるなら、意思決定の仕組みに何らかの成果をもたらすことも可能となってくる。

カーネマンは、“well-being”を「満足」、“happiness”を「幸福」として使い分けている。

ベルヌーイは「見通し(prospect)」を金額ではなく「効用」で考えた。10持っている人にとっての1と、100持っている人の1とでは同じ1でも効用が違う。

効用(満足度)を決めるのは変化であって、状態(富の絶対量)ではないというのが、カーネマンのノーベル賞受賞の中心的研究である。

凡愚が小学生(おそらく3年か4年)のころ、古野という旧友と八千代湯の脇の壁にあたりで、いきなり古野が「幸せって状態だと思うか」と聞かれて、凡愚は「状態に決まっている」と答えたら、古野は「俺は過程だと思う」という会話をしたことを鮮明に覚えている。

それを深く研究すればノーベル賞になったと思うとはなはだ残念である(余談)。

絶対量を求めて決断しているような場合でも、実は状態ではなく「変化」に対して知覚が影響を受けている。

満足度を決めるのは効用ではなく、価値に左右されている。価値は、得失(変化)によって定義される。人は何かを得るよりも、失うことに強く反応する。

人が意思決定をする時、得失が負の領域に直面するとリスクを追求する傾向が強まり、正の領域においては、リスクを回避する傾向が強まる。

知覚にも特性があって、例えば何本かの線の合計の長さを直感で捉えることは難しいが、平均は、直感で捉えている事が多い。人が決定を下すときに、大抵の場合、直感で捉えて平均を元に考えるというバイアスがかかっている。

つまり、合計すれば「徳」なのに、平均を直観で考えると「損」になると判断すると、損失回避をしようと決断する。

知覚にとっては、状態よりも変化が優位であり、論理的合計よりも知覚的平均によって「合計」の判断を誤らせることが多い。

「効用」を「満足」と捉えるか、「幸福」と捉えるかで解釈が少し変わってくる。主観的に「満足」と感じている人々の方がそうでない人々よりも、風邪にかかりにくく、傷の治りも早かったそうだ。

その意味では「幸福」とは幻想であるのかもしれない。経済学的には「満足」を追求するべきということ鴨。