改革という名の改悪
「大化の改新」で蘇我一族を排除して、天智ー天武の皇統を盤石にした。これが改悪であったのかは比較ができないから何とも言えないが、天智が実権を握ることで藤原一族が繁栄できることになった。
その後、藤原摂関政治から白河天皇の院政になり、平家が天下を取り、源氏が天下を取り、北条が天下を取り、足利が天下を取り、信長が天下を取り、1603年からの家康の時代になって少し安定したけど、1716-1736年の享保になると吉宗による「享保の改革」が断行される。
主眼は財政再建であった。
そのわずか50年後の1787-1793年になると松平定信によって田沼意次らを失脚させて「寛政の改革」が断行される。が、景気が沈滞し大奥の策謀などで挫折した。
そのおよそ50年後の1831-1843年には水野忠邦による「天保の改革」が断行される。が、市場を混乱させたことなどからわずか3年で挫折する。
天保から25年後には維新によって明治が始まる。攘夷だったはずだったが、明治になると西欧化が急速に進み、インテリはこぞって欧州で先進の学問を身に付け、深い漢学の素養を有効に活用して日本独自の学問体系を構築していくことになる。
明治維新は、意図した改革から時勢に流されて、結果としてその後の日本の急速な発展につながったことから改革は成就したといえる。
日清ー日ロと、アジアでは先行することができたことから思い上がり、大東亜戦争と太平洋戦争を始めたことから壊滅的敗戦を迎える。
その敗戦後の改革は主としてGHQによってなされることになる。少なくとも、戦後のインテリには漢学の素養はなく、改革というよりは「改善」を得意技とし、その結果、イノベーションが起きにくい社会構造になっている。
明治維新で失ったものは、江戸時代というマインドであった。1945年の敗戦で失ったものは、明治ー大正ー戦前のマインドであった。
得たものと失ったものとで比較することはできないが「物質的欲望を求める」ようにはなった。これは資本主義の要になる。逆に失ったものは「物質的欲望を求めない」ことと言えそうだ。
江戸時代から戦前までに通底するものは「自己の分際」を見極めた生き方をすることが普通であったが、戦後は端的に言えば「成功」すれば結果オーライになることで、分際に応じた生き方ではなく、資本主義的勝者になることを持って良しとする価値観になっている。
小泉改革などは最たるもので、郵政民営化は郵便事業だけを切り離せば成功するはずがないことは自明であったが断行した結果、郵政3事業は時間の中で、ますますはかばかしくなっていくだろう。さらに、グローバリズムなどという「ハーメルンの笛吹き男」、別名竹中何某の笛に踊らされて製造業から正社員が連れ去られ、非正規労働という社会を疲弊させる改悪を断行した。
平成の和製ハーメルン笛吹き男は「トリクルダウン」という言葉を使ったが、企業は利益を労働者に還元することはせずに内部留保としてため込んだ。
それに続く愚策が「アベノミクス」という日本経済の安売りを黒田何某との連携で断行し、金利は上げられず円安も止められない状態が続いている。円安を止められるとしても、日本の力では何もできず、アメリカのドル安頼みでしかないことになっている。
日本をたたき売りした政策を断行しながら「美しい日本」とか「戦後レジュームからの脱却」などと夢物語を口走っていたが、いまだに信奉する人間が少なからずいることに、結果としていい思いができた人間が少なからずいるということなのだろう。
改革は、結局は権力者の思い上がりと独りよがりでしかなく、成功するか失敗するかは時の運でしかない。少数になった与党が参院選で多数与党に復活できるのか、さらに混迷を極めるのかは選挙次第であるけれど、野党が政権を取ったところで官僚機構をスクラップ&ビルドするくらいの力量(能力、知識、経験)がない限り、与野党を通じて今の政治家に国家運営はちょっと難しそうである。
つまり「令和の改革」とは、政治と官僚機構の破壊的イノベーションを起こすべき時期に来ているといえそうだけれど、力量のない者達が政権を担ったところで、結果は最悪になることはちょっと前の「民主党政権」で実証済みである。自民党政権が決して最善であるわけではないが、今の日本の自民党政権よりベターな選択は、考えにくい。
官僚機構をスクラップ&ビルドするくらいの力量(能力、知識、経験)がある野党の登場を待つ方が、結果はいいように思う。有権者が落胆することで、さらに政治が停滞してしまうほうがマイナスが大きい。