政権や王朝の滅亡

国外では政権が入れ替わることは珍しくないのに、日本においての王権は神武天皇以来万世が一系なので、実に平和で安定している。それも、天皇制のおかげである。

しかし、中大兄皇子は自分の母である皇極天皇の眼前で蘇我入鹿を惨殺している。その後、天智天皇の死後、息子の大友皇子と天智の弟の天武が戦いをして天武が勝っている。中臣鎌足は天智に取り入り、天武系には藤原不比等が取り入り、不比等の息子の4兄弟からずるずると、雲霞のように藤原が湧き出てくる。

今度は、同じ藤原一族間で権力の座を争うようになる。その時に、一番役に立ったのが女子であった。女子が生まれると、ともかく天皇の女御にする。そこでうまくして男児が生まれて、皇太子なり天皇にでもなれば、その一族には光が当たる。

そのきっかけとなるのが藤原冬嗣であり、それに続くのが藤原良房である。どちらも娘が天皇の后となっている。

ここで重要なことは、「娘」が不可欠なことと、その娘が天皇との間に「男児」を産むことにである。男児が赤ん坊でも少年でも、少しおかしくても構わない。というか、藤原にとっての天皇とは、自分たち一族の女子に男児を産ませるだけの役割でしかないということだった。

しかし、その藤原摂関も白河天皇以降は院政となり、権力はひと時、天皇側に取られるが、すかさず現れるのが武士であった。平家、源氏、北条、足利。信長、秀吉、家康。ここで一呼吸おいて薩長、軍閥。戦争に負けたのちの権力は、ちょっと前までは自民党だった。

つまり、王権は一統ではあったけれど、それは権力を持た(て)なかったからで、実際の権力においての闘争はめまぐるしく行われてきている。

昭和の終わりごろから平成、令和と政治の低レベル化の背後で、実質的な権力を握っているのが官僚である。対して実力もないのに金と権力を欲しがる政治家を隠れ蓑にして、やりたい放題を尽くしているのが官僚であり、彼らの権力の裏付けが「増税」と「天下り」である。

これは国家レベルだけのことではなく地方自治体も、同じ構造であることが兵庫県知事のドタバタで明るみに出て出てしまった。つまり、県庁の高級官僚の天下り先に手を付けるとクーデターが起きる。

石丸さんが都知事になっていたら、都議会の議員たちも敵になるけれど、むしろそれは形式的な敵対であって、実質の敵は約書に巣食う「魔物」と、その魔物と結託している外郭団体や業者になる。

おかしな人の流れやお金の流れ、無駄の排除に手を付けた途端に、クーデターが起きるところだった。兵庫を除く全国の自治体でクーデターが起きていないのは、首長・役人・議員が三つ巴で、住民を食い物にしているからに過ぎない。

住民のために、掃いて捨てるほどある外郭団体や協会などの天下り先への予算に手を付けた途端に、知事だろうが市長だろうが町長だろうがレームダックになるのが日本の政治。それを支えているのが毛細血管のような金の流れ。

その原資が政策活動費と企業団体献金とパーティー。かき集めた闇金ばらくことで党勢を拡大してきた。領収書がいらないのだから乞食と政治家は3日やったらやめられない。