明治神宮について調べたら

都知事に立候補している石丸伸二さんに対して記者が神宮外苑のことを聞いたところ「今から中止すれば、訴訟にもなりかねないでしょう」というような発言だったの少し調べてみた。

結論から言うと、土地の主たる所有者は明治神宮である。明治神宮が所有している土地は、聖徳記念絵画館のほか、道路部分などを除く銀杏並木、神宮球場、神宮第二球場、ヤクルトクラブハウス、神宮外苑室内テニスコート、神宮外苑ゴルフ練習場、スケート場、など外苑の大部分。

ただし、あのあたり一帯で秩父宮ラグビー場だけは「未共用地」だそうで、都市公園法の適用除外なので所有者の一存と東京都のご都合で高層ビルが建てられることとなる。秩父宮ラグビー場だけが「未共用地」であること自体も不可思議なことではあるが、三井不動産に大挙して天下りをしている東京都の決定なのだから、自民党による「政治資金規正法」ぐらいの公平さと公正さなのだろう。

共用地は、誰が所有者であろうが都市計画法や都市公園法で、解体しやすい2階建て以下の建物や、売店、スポーツ施設など公園に関係する施設しか建てられず、高層ビルは不可能である。

2013年に作った東京都の「公園まちづくり制度」により都心部で都市計画公園に指定した未供用区域(秩父宮ラグビー場の3.4ヘクタール)を対象に公園を除外して再開発を許す代わりに緑地を確保するという一見、もっともらしいバーターであるが、東京の役人が三井不動産に14人も天下りをしている程度のもっともらしさである。

秩父宮ラグビー場、ラグビー場東テニス場は独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の所有。東京体育館は東京都の土地だ。新国立競技場はJSCと東京都、新宿区などが所有する。誰が所有しようが都市計画法や都市公園法という法がある限り開発はできないが、あえて東京都は都市計画法や都市公園法を解除しているらしい。

これは議会が承認していることであるから東京都民の総意でもある。

政治が三流だから経済も三流になったというけれど、そもそもは有権者が三流だから当然の帰結でしかない。東京都は、とりあえずお金が潤沢にあるから、選挙前には少しバラマキさえすれば都民の総意を形成できいるので「不満」は噴出しない。

こうして三流の政治は、三流の有権者を取り込んで、じわじわと衰退していく。

神宮外苑は大正時代に作られている。国家神道体制として国策として作られているが、いつから明治神宮の所有地になったのだろうか? ← Geminiによると「当初は国有地であったが、戦後の政教分離政策の一環として、国有境内地処分法に基づき、時価の半値で明治神宮に払い下げられました」とのこと。

安政5年の外苑あたりは、どうも空き地ではないように見える。一部は小大名の邸で、後のごちゃごちゃしている部分は「小役人」の住まいだったようだ。明治になってそれらを片づけて陸軍が撤収したのだろう。

明治25年以なると、紀伊殿の邸跡は赤坂離宮になっており、外苑あたりは陸軍が使用している。ということは、国有地となっていたはず。

明治神宮は、明治天皇崩御後の1920年(大正9年)11月1日に創建された。祭神は明治天皇と昭憲皇太后。当時の天皇は、まだ神様の時代。

明治天皇が死ぬと、明治という時代を記念するものを東京に構えるという構想が続々と唱えられた。天皇陵は明治天皇の遺志によって京都に造営することとなっていたので、記念施設を東京に創設することを求める運動が起こり、それらの中には「明治天皇を祀る神社」という構想があった。

神道と宗教との関係性において、神道における「崇敬」の概念が、国民と天皇との関係とリンクする、とされた。

内苑には代々木御料地(旧井伊家下屋敷跡)、外苑は青山練兵場を最適とした。宗教施設を置かず公園として整備される「外苑」は従来の神社にはないものであった。← 1886年(明治19年)日比谷練兵場(現:日比谷公園)から移転してきたとはいうものの、幕末の古地図を見ると、神宮外苑当たりには練兵所とするような広大な空き地にはなっていない?

明治神宮の宗教活動としての収入では、内苑・外苑の維持費をまかうことは厳しくなってはいた。イチョウの樹は大正時代から100年を経過しての見どころになっているが、建物は必ず老朽化する。

そろそろ、「東京から動く」ことが必要な時期であることを象徴しているのかもしれない。

最大の問題は「公平」「公正」「透明化」に尽きる。明治以降の日本において最も欠如している項目だ。江戸時代以前のことは浅学にして想像が及ばない。