映画で見る日独の違い
たまたま、YouTube見てたら、戦時中の職業軍人と官僚との会議風景が日独とで描かれていた。
日本のほうは五味川順平の「人間の条件」で関東軍相手に、おそらくは官僚なのだと思いますが、数字を列挙して形勢が悪いことを説明するものの、関東軍の将校たちは、各種のデータによる分析を「敗戦思想」としてあざ笑っています。
北大路欣也が、「数字に国籍はない」というと、関東軍の将校が「数字で戦争ができると思うのか」と怒鳴りつけます。
そこで、欣也が数字を列挙して日米で算術的平均値では「74.2対1」と紹介すると、辻参謀が議論をストップし、「日清・日露で天敵を倒してきた皇軍の伝統というのも歴史的事実だ」「関東軍の参謀相手に敗戦論をぶったのはあんた(北大路欣也)が初めてだ」で、映像は終わります。
現実の関東軍は知る由もありませんが、おそらくはこんな感じだったような印象で受け止めています。
辻政信参謀は陸大の「恩賜(「恩賜」とは特に優等ということ)」という成績だったそうです。wikiによれば、非人道的残虐事件を巻き起こし、指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判があるとのこと。
それでも戦犯にはならず、政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスのジャール平原で行方不明になり、後、死亡宣告をしている。
山下奉文中将は辻とそりが合わず、マレー作戦中の日記において、「この男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也」と辻を厳しく批判している。
その後も逃げ回り、日本に帰国しても偽名を使い、炭鉱夫になったり、支援者の支援で時を過ごしたりしながら、昭和27年に衆議院議員に当選。昭和36年東南アジア(ラオス?)で失踪。
翻ってドイツのほうは、会議の中心はラインハルト・ハイドリヒは国家保安本部(RSHA)の事実上の初代長官。親衛隊での最終階級は親衛隊大将。辻は1902年生まれなので、ハイドリヒは2年遅れた1904年生まれの、ほぼ同年代。
「ヒトラーのための虐殺会議」では、1100万人のユダヤ人をこの世から抹殺するための会議を、アイヒマンの手記を基に再現しているとか。この映画でのハイドリヒは魅力的に描かれているが、会議の内容は、銃殺するには1100万発の弾薬はロシア戦線に回すべきとか、銃殺をする将兵の精神への影響を危惧する場面もあるが、ようは毒ガスで大量に、かつ廉価に殺害することが決定される。
しかし、官僚が法律に基づかなければ法が意味をなさないなどの意見も出されるが、関東軍と違って精神論に基づく罵倒や激高する将校などのシーンは全くなく、淡々とユダヤ人を抹殺するための会議が進行していく。
その意味では、精神論で大声を張り上げ、官僚などを罵倒する日本軍のほうが幼稚にみえ、ドイツ人のほうが恐ろしい雰囲気が漂っていた。
ハイドリヒは1943年に暗殺された。
映画の宣伝用の切り抜きでは、この映画の見どころを伝えることができていない。どうして、こんな軽薄で低能な切り抜きをするものだろうかとあきれてしまう。
なぜ、ドイツがこうした映画を作っているのか、逆に言えば、こうした観点から日本では政治中の映画を作れないのかに、興味は尽きない。