漢文の素養はありますか?

江戸時代までの学者は純正漢文の読み書きは前提であった。

日本では科挙が定着せず、公家、寺家、武家はすべて世襲となっていく。しかし、それぞれの権門において実力を持ったのは実務を担った中流実務階級であり、その層の厚さが日本の近代化において力を発揮した。

その実務階級の実力の源にあったのが「漢文力」であった。

近代化において漢字を廃止した国には、中流実務階級の層が薄く、上流知識階級が没落すると同時に漢字の使用を廃止している。

日本においては、漢字は外国の文字とは認識しておらず、音読み、訓読みがあること。一つの漢字に複数の読みがあることは、他の漢字圏の国には見られない特徴となっている。

漢字は仏教伝来に伴って入ったようなことを教わってきたが、そんなはずがあるわけがない。弥生時代から交易していたし、卑弥呼は魏に朝貢している。金印だって弥生時代にもらっている。

しかし、漢字が文化として定着していたかというと「卑弥呼」や「邪馬台国」のような卑字を使うはずがない。考えられることとして漢字の使用を禁じていた可能性だ。

中島敦の「文字禍」のなかに、エジプトの文書博士が楔形文字を研究していて、どうして単なる線の集まりが「音」や「意味」を持つのかと考え、文字の中に「魂」があるのだという結論に至るシーンがある。

当時の人々が、文字に魂があるのであれば、人間の感情や意見を文字に起こすことで魂が吸い取られると考え、文字の使用を忌避した可能性は、きっとある。

とはいえ、仁徳天皇陵に雄略天皇が埋葬されているとすると、この時代のインテリは純正漢文を書いて宋の武帝から「安東将軍倭国王」に任じられている。第一、文字がなければ仁徳天皇陵のような大規模開発の管理ができるはずがない。

紙が無くても木材や竹、布、皮に書くことだってできたし、金属に彫ることや、エジプトのように粘土板だって使えたはずだ。その一方で、純正漢文を5世紀あたりの官僚には読み書きできる人材がいたのも事実である。

要するに仏教(お経)が入ることで、ようやく「文字」の使用として漢字使用が国家的に容認されると同時に、漢字を日本語に習合(訓読)させる作業に入ることとなる。

漢文書籍が盛んに日本に入ってくるのは、600年代後半の朝鮮半島や中国大陸の情勢が不安定で多くの知識人が日本に逃れて来たことと、遣隋使・遣唐使で日本から高僧や知識人の交流が盛んになることから、大量に中国・韓国の文字文化が流入してくることは、大きな影響があった。

これがだいたい700~800年ころの日本の漢字事情であった。

来年から大河でやる紫式部当たりの時代(900年代後半から1000年代初めのころ)を「国風文化」といい、和漢混交文が誕生し、貴族は漢文・漢詩の素養を前提としながらも、和歌などの日本語文化を開花させる。これが、現在の日本語の底流をなしている。

江戸時代は、王朝時代に次ぐ日本漢文の黄金期になる。その背景として「儒教」の浸透が考えられる。

(1)訓読法が公開された、(2)漢籍ブームが起きた、(3)インテリ層が形成された、(4)漢文が教養になった、(5)漢文が文化一般に大きな影響を与えた

このような事を背景に漢字文化が庶民に行き渡り、町人であっても教養として漢籍を読むようになる。これが明治維新の底流をなしている。

幕末から明治初期には西欧文化を漢字化することで、西欧文明を独自に概念化することができた。現在の中国では、幕末・明治期の日本のように西欧文明を漢字化しているが、日本ではカタカナに置き換えるだけで文化を概念化することができなくなっている。

英語を学ぶのも結構なことだけれど、いまこそ、「漢文」の素養が必要な時代でもあるような気がする。