物売りとは、アスピリンの営業のことである

「モノを売る」とはどういうことか?
ここに、アスピリンを売る人がいる。そこに、熱が出て寝込んでいる人がいる。
「アスピリンを飲めば熱は下がりますよ」
「売って下さい」
これが営業である。
ポイント1は、売る側には解熱によく効く「アスピリン」がなければダメ
ポイント2は、買う側としては、「熱」が出ていることに気が付いていなければダメ。かつ、購入する原資がなければ商売は成立しない。
「1」と「2」が出会うことが「営業行為」である。
マーケティングと称する戯語
セールスファネルとは、潜在顧客が自社の商品やサービスを購入するまでのプロセスを段階的に可視化したモデルです。漏斗(じょうご)の形に似ていることから、この名称が付けられています。
セールスファネルは、マーケティングファネルやパーチェスファネルとも呼ばれます。
とかなんとか、文字はそれらしく使われているけれど新しさは全くない。マーケティングなどと言うと、このような造語ばかりである。
そもそも、アメリカ伝来の考え方であり、日本には「マーケティング」などという考えはなかった。戦争に負けてアメリカから持ち込まれ、高度成長期に言葉として馴染んだだけで、概念すら日本語化できてもいない。
無為あるいは空為
カタカナ語に対して日本的はイノベーションは皆無なのである。日本発の新奇な発想は皆無であるけれど、機を見て敏と自認している連中は、こぞってアメリカ発のイノベーションを見つけると「祭り」騒ぎにして「利」を取ろうとする。
「生成AI」にしてからがそうであって、「それ使ってこうすれば儲かります」のような話ばかりである。「ヒト褌」ばかりなのである。
この30年の間に、日本のITにハードもソフトも確たる進化はなかった。皆無、絶無だった。
「アスピリン売り」こそが王道
(私)私はアスピリンの営業です
(客)私は熱が出て苦しんでいます
(私)アスピリンを飲めば熱が下がります
(客)売って下さい
こういう流れを作ることが「マーケティング」である。つまり、自分が持っている商品(サービス)を「アスピリン」にしなければならない。
それでも、熱が出ていない健康体の人は見向きもしないし、熱が出ていて瀕死であっても、それを直そうとしない人には買ってもらえないから営業をするべきではない。
つまり、自分の持つ商材を「アスピリン」にすること。
次に、熱で苦しんでいる人を見つけること。
物売りは皆「アスピリン売り」でなければならない。よく効く「解熱作用」がなければ売ってはいけない。
コンドロイチン、グルコサミン、ヒアルロン酸などを「広告」で売ろうとするのが「マーケティング」なのではない。
買った人は熱が下がって喜ばなければダメということ。
広告・宣伝は邪道の極み
効くか効かないかよくわかりもしない健康食品を「宣伝」で売ることは「邪道」の極み。それは「マーケティング」ではなく「フィッシング」というらしい。
健康食品のみならず化粧品なども、半分は「宣伝・広告」を顔に塗っているようなものである。