生成AIは福音か?

生成AIの登場によって、人間が作ったら何年もかかるかもしれない文章やメディアが、今では数秒で生成できるようになった。

生成AIの登場によって、レベルの底上げになるかもしれないが、「創造」には程遠い。よって、創造性の高い人間にとっては、さほどの影響を与えることはできない。

実験は、3つのグループに治験者を分ける。1つ目は、AIを使わずに自力で物語を書く。2つ目のグループは、GPT-4に物語のアイデアを1つ出してもらう。3つ目のグループはGPT-4に物語のアイデアを5つ出してもらう。

およそ300人の参加者に対して600人の査読者が評価をする。

GPT-4を最も多く利用できる選択肢が与えられた3つ目のグループが、最も創造性が高いと評価された。特に創造性が低いと判定された参加者ほど、AIによる恩恵を受けていた。

そのことは、元から創造性が高いと判定されていたグループにはAIによる寄与は、あまり見られなかった。

AIが生成した物語は全体的に、意味的にも内容的にも似てくることは必然である。

「良い文章とは、説明するものではなく、想像させるものです。AIは常に説明しています」とのこと。「AI」とは「Artificial Intelligence」。つまり人工的な知能のはずであるが、知能というよりは「知識」なので、「創造」も「想像」もできず単に膨大な情報からくみ上げた「知識」になるので、「説明」することは得意である。

そんなことは、実験をするまでもなくわかることである。

脳細胞は、同じようなニューロンという細胞で構成されている。そのニューロンを縦横に接続しているのがシナプス。これらの組合せと、利用の仕方で「個」という特性が形成されている。生得するものももあれば、環境から受けるものもある。

千葉工大にある「furo」で作っている4足歩行ロボットは、倒れてから立つ制御を「創発」している。それは「ポナンザ」という将棋ソフトを作った人も言っていたが、勝ち方がある領域から人間には解読できない領域に入るそうだ。それも「創発」。

脳のニューロンがしている仕事の多くは「創発」になる。よって、生成AIがいずれは「創発」する時を迎えるだろう。

碁も将棋もチェスも、AIには勝てなくなっている。AIが創発するようになれば科学も医学も薬学も政治も経済も文学も音楽も戦争も教育も司法も、人間よりAIの方が優れだす日は、おそらくはそんなに遠くはない。