今さらの紙のストロー

トランプ大統領が「バイデンが推進したばかげた紙のストローを終わらせるため、来週、大統領令に署名する。紙のストローは役に立たない。プラスチック製に戻そう」とのこと。
自分は使ったこともない。スターバックス、セブン-イレブン、 マクドナルドあたりで使っているらしい。
随分前に、スターバックスでホットな飲み物飲んで口の中をやけどしてからスタバには行ったことがない。ハンバーガーはあまり食べないからマクドナルドにもあまりいかない。近くにもない。
セブンイレブンにはよく行くけれど冷たい飲み物は飲まないから紙のストローに出会ったことがない。
子供のころのストローは麦わらだった。途中に亀裂があると、指で押さえて飲んだ。いつから石油製品のストローになったのか記憶はない。そのころ、コロッケは5円だった。メンチが10円。
牛乳屋で「パンピー」というオレンジ味のゼリーみたいのをガラスの小さな瓶で売っていた。これが、食べられる時の嬉しさは極上だった。コンビニ行ってお金払えば、大概のものが食べられるのは決して幸せではない。
三ツ矢サイダーも壜で売っていた。全糖が25円。全糖じゃないのが15円。で、全糖じゃないのを買ってきて砂糖を入れて飲んでいた。全糖じゃないのは、人工甘味料(チクロ、サッカリン)が使われていて、後に使用禁止になった。

風邪ひいて寝ていると母親が卵入れたおかゆを作ってくれたり、水を「吸い飲み」に入れてくれた。「吸い飲み」という名前だとは知らなかった。今から思えば病気も楽しかった。
これで飲む水が異様においしかったのは、器具のせいではなく熱のせいだったのだろうけど、不思議においしかった。
紙のストローにしたからと言って環境がいきなりクリアになるわけでもない。ストロー使わない飲み物にすればいいだけのことだ。どっちにしたって環境負荷がある。いっそ、麦わらに戻せばいいようにも思う。
中国人のように、ごみを海洋投棄するから汚染するのであって、彼等にちゃんとした教育を施す方が話は早い。
昔がよかったのは、親や親せきの伯父さんや叔母さん、友達の親や近所の大人が戦前の人たちだったからのような気がする。戦前が必ずしもいいとは思わないけれど、戦前の日本人のマインドは、今の日本人の中途半端なマインドとは異なっていたように思う。
「世界で一番幸せな男」というアウシュビッツで捕まっていて生還した人の本がある。ドイツ人はすごい。すべてのドイツ人とは言わないけれど、大方のドイツ人は、昨日の友であってもユダヤ人に対して苛烈な仕打ちに加担して目をつぶった。大方のドイツ人は、SS(親衛隊)や保安警察がユダヤ人の大量殺戮をしていたことを知ったうえでほっかむりしていた。
それどころか密告はする、石はぶつける、殴る、蹴るをした。宗教なんて、とどのつまり、こんなもんだ。
戦後も、ユダヤ人せん滅を知らないふりをしとおした。元、SSの将校でも天寿を全うした人も多かったらしい。インパール作戦の指揮を執った牟田口廉也も天寿を全うした。インパール作戦では12万人の将兵が死んだという情報もある。
牟田口廉也に言わせるとインパール作戦が失敗したのは部下が悪かったからだといっていたようだ。
ユダヤ人が憎かったのではなく、「アーリア人」という金科玉条によってまん延する不満を払しょくするために政治利用(あるいは宗教利用)された要素が多分にあるようだけれど、それだけのことで隣人を死に追いやれるとも思えない。そこがドイツ人のすごさだともいえる。
民族主義なんて、所詮はこのざまだ。
環境の活動家などもご苦労なことだし、信奉する正義を貫くのであるなら立派なことだけれど見習いたくもない。中途半端が一番気楽なのに、正義であろうが信条であろうが宗教であろうが民族主義であろうが、価値観を端に持っていくほどに内分泌が変化して攻撃的になり、ストレスが高揚する。
右であれ左であれ環境であれ宗教であれ、なにかに先鋭化すると攻撃的になるのは生体のメカニズム。ストレスレベルを継続させているうちに人格にも影響が出てしまう。
活動家やフリージャーナリストが攻撃的なのはそのせい。
大正に生まれた親達が生きていた戦後昭和の時代に戻れたら、戦前の話をもっと真剣に聞いておくのだったと後悔しても始まらない。
結局、人生とは死ぬまで生きることでしかない。そして「禍根」を最小限にする生き方に徹するのが、死の瞬間を少しでも極楽に近づけてくれる気がする。下手な宗教より、よっぽどましな考えのように思う。