荘子を考える:逍遥遊《其の05》
吾有大樹:吾に大樹あり
人謂之樗:人これを樗と謂う。
其大本擁腫而不中繩墨:其の大本は擁腫して縄墨に中たらず
其小枝卷曲而不中規矩:その小枝は巻曲て規矩に中たらず
私の村に大木がある。木の名前は樗という。この木はこぶだらけで曲がりくねっているし枝も同様に曲がりくねっているので、大工が使おうともしない。木材を建築材としてのみの価値で推し量ろうとすると曲がっている木や瘤のある木は使い道がないとされるが、家具に使ったり工芸品に使おうとすれば全く異なる価値を発揮する。
人間も同じで、単一の価値観に基づく尺度だけで判定をすることに間違いがある。
木は真っ直ぐで立派な木から切り倒される。人間も同様で健康で頑健な人間から徴兵されていく。
- 恵施は荘子と同時代の学者であり政治家であった。荘子との交渉が当時としては最も密接であっったと考えられている。
- 恵施の荘子に対する論点は、荘子があまりにも超世俗に過ぎ、そのため現実の生活にはなんの役にも立たないということであった。
- それに対して荘子の反論は、「無用の用」で答える。
- 本当に有用なものは世俗での有用さと同一であるとは限らない。逆に世俗的に無価値と思われる樗のようなものの中にある有用さに気づかなくなっていく。
- すべての存在には、存在する意味と価値があるにも関わらず、既成の価値体系からの有用性から物事をわかったつもりで判断することに警鐘を鳴らしている。
- 「自然」とは、「自ら然る」ことであって、人間の考え出した価値観から有用無用を斟酌することの愚かさを指摘している。
- 「無用」には「無用」という有用があることを知るべきである。
- いたちが獲物を狙って身をかがめたり足音を忍ばせたりして獲物をつけねらうが、そのいたちも、いたちの天敵から同じように付け狙われたり人間の罠にハマって捕獲される。
- 狂騒の中で能力を発揮したところで、更に優秀な人材が出てくればそれまでのことでしか無いのだから、組織や狂騒の中でたかが知れている能力を発揮するのではなく、自己を逍遥とすることに人生を使ってみることが、結果として世の中を平穏にしていくのではないか