落ちぶれた日本の根本原因

「政治が三流だと経済も三流になる」という意見もある。特に南米やアフリカは、そのような感じでもある。おそらく、日本もそこに類するようになってきている。

とはいえ、日本企業は一流であったはず。にも関わらずシャープ、東芝、サンヨーと、没落していく大企業があるのも事実である。

その原因として、

昔のITの能力では、意思決定に必要な情報が経営層に上がるまで1カ月以上かかった。だから、現場力があり臨機応変に対応できる日本企業は相対的に強かった。でも今はリアルタイムで情報が経営陣に上がり、経営者が素早く決断を下せるようになったから、トップダウン型の企業ががぜん有利になった

日経XTECH

日本が強かった時代とは「DX」と言われるデジタル革命が職場に浸透する以前の話で、欧米ではできていなかった「現場力」が日本を優位に立たせていた。

しかし、テクノロジーの進化により、今では、日本企業の意思決定の速度では欧米企業に追いつけるものではなくなっているうえに、欧米の経営トップがトップダウンで意思決定する経営スタイルに対して、日本の大企業の経営層が意思決定をし、全社にトップダウンで指令を出す組織風土にもなっていない。

雇われ社長としては、意思決定することで責任を負ったり、前任者(先輩)を否定するようなことをしたくなかったりで、大過なく自分の任期が過ぎることを以って良しとする風潮になっていく。つまり、何かしているふりはするが、実は何もしないことをもって「良し」とする。

翻って、「勝手Katte)にやっている現場Genba)の集合体Shuugoutai ):KGS」と呼ばれて久しい日本企業は、現場力があり臨機応変に対応してきているから、ここにおいて「カイゼン」していけば潮流に乗っていられるという昭和時代の名残のままに、抜本的組織改革すらおこなってきていない。

日本企業の現場力とは、何か問題や課題が発生したら「勝手に」現場の個々人の創意工夫ややる気で解決してしまう組織的能力でやってきた。それを労働者の質が高いとか忠誠心が高いと自負してきた。

問題が積み上がれば、幹部は現場に「何とかしろ!」とハッパをかけるだけで何とかなってきた。問題が発生する原因の情報を集め、分析し、対策を打っていくというような緻密な判断から、遠く離れたところに経営幹部がいるだけで組織が、それなりに動いていた。

いわば、乃木将軍の203高地を彷彿とする。

部門ごとの最適化の集合体であった日本型組織では、情報速度に対応できなくなっている。そこを補うのが「IT」であり、そうした体系を「DX」という。

日本企業没落の真の原因はデジタル革命に乗り遅れたことにあるといえる。それを打破するためには、デジタル革命をものにすることができ、トップダウンで決断ができる人材に経営層を入れ替えることが必要であった。しかし、いまだにハンモックナンバーによる人事制度にしがみついていることに原因の端緒がみられる。

これは政治も同じで、60歳、70歳。果ては80歳代の政治家や企業経営者が権力を握っている構造を改めようともしない日本の風土には、日本が没落する決定的要因が如実に顕在している。このことは、単なる「老害」というだけのことではない。

江戸幕府が没落していったのは「経済の行き詰まり」であったけれど、その背景には硬直化した経営トップ(世襲制)の人事にあったことを、もっと直視しなければならない。

いろいろな制度が「疲労」してきていることを早く認識して刷新していく気概が求められるが、その決定をするのが「老害」権力者であることが、最大の障害となっている。

そこで登場したのが石丸伸二であって「政治屋の一掃」が最優先の政治課題であった。第二が「メディアの再興」。この二つを野放しにしてきたことで、日本国民が愚鈍化してきた。権力を手放したくない老害政治家と権力におもねるメディア・司法・国税。

自らが愚鈍化してきたことすら自認できないほどに愚鈍化してしまった国民にとって唯一の救いは「人口減少」による消滅が間接的選択となりつつあること。

あと、15年ほどして東京でも人口減少が始まるころには、46道府県はかなり衰退している。こんな状況下において、4年を無駄にする選択をした都民が、愚鈍化を如実に示している。

ワタシの座右の銘は「何とかなるは、何ともならないの同義語」。

日立の人事制度を伝え聞く範囲で考えると45歳前後で事業部長に到達できない人材は、組織に関与する決定権を持たせないぐらいのダイナミックな改革がすべての組織において必要な時期に来ている。

上場企業の経営層も叱り、学校の校長や大学の教授もしかり、政治家も官僚もしかり。