1日の時間の中で無駄なこと

何か有益なことをすることで生きながらえているわけでもないので、なにが「無駄」かというと答えに詰まってしまう。

とはいえ、「インターネット」で、目的を持たずにニュースやYouTubeを閲覧する時間は、明確に「無駄」だなと感じる。

1日を「仕事で8時間」「休養で8時間」「趣味で8時間」と3分割するということから1日8時間労働が定着したとするなら、インターネットをいじくっている時間は、3分類からすれば「趣味」に分類されるのかもしれない。

ChatGPTに問い合わせると、

趣味とは、個人的に興味を持ち、自発的に取り組むことができる活動や関心事のことを指します。趣味は、人生の中でストレス解消やリラックス楽しみを見つけるために重要な役割を果たすことがあります。趣味は多種多様であり、スポーツ、音楽、読書、絵画、手芸、コレクション、料理、旅行、ゲームなど、様々な分野にまたがることができます。趣味は個人的な好みや興味によって異なり、人生をより豊かなものにするために重要な要素の一つです。

ChatGPT

趣味のキーワードとしては「リラックス」「楽しみ」「人生を豊かにする」との啓示であるけれど、それからすれば単なる「惰性」で時間を「消耗」しているだけのような気がするから、おそらく「趣味」には分類できない。

つまり、本来なら人生を豊かにしてくれるはずの「趣味」時間を、単なる「徒労」に「消耗」しているだけだと気が付く。つまりは3分類ではなく「徒労時間」が、3分類を侵食しているわけだ。

荘子は「無為を為す」といった。凡愚がインターネットを繰ってニュースを見たり、YouTubeを見たりすることは、明らかに「無為」ではあるけれど、「為す」という自発性はなく、単なる「受動」でしかないから「無為に流される」ことが真実にちかい。

受動の典型であるメディアであるテレビを見ることのバカらしさに気が付いたのに、気が付けばインターネットで無為無益に時間を潰していたのは、我思うに確立した「趣味」がないからであり、残り僅かな人生を少しでも豊かなものにしようという積極的な意思が欠如しているからだという思いに至ったが、いささか遅きに失してはいる。

先週、旧友と温泉に行ったとき、旧友の知人が朝起きて縁側に座って何もせずに何時間でも庭をながめているのだとか。なにをしているかというと、毎日、じっと耳を澄ませていると庭に来る小鳥たちのさえずりが会話に聞こえてくるのだとか。

こういう達観に至るには、心の余裕がなさ過ぎている。とはいえ、「受動的無為」に時を過ごすことだけは「無駄」と意識して「自発的無為」に時を過ごそうと思う。