3つの体系と国際政治の成り立ち

国際政治」は「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」が絡み合っている複合物だそうです。それは高坂正堯さんの『国際政治 恐怖と希望』(中公新書)に詳しく書かれているというので図書館に予約を入れました。

いまさら国際政治などに首の突っ込みようもないのですが、戦争はこの3つの体系から解釈することができるのだそうです。日本が日中戦争から太平洋戦争へと突き進むわけですが、完全に「力の体系」と「利益の体系」が欠如していたとみることができるわけです。

価値の体系」と「利益の体系」の違いが、言葉として明確ではない気がします。「観念の体系」とかのほうが、もっとわかりやすい気がします。日本の場合ですと「皇国の興廃」のような、「スメラミコト」のような概念が登場するようになると、武力が劣っても、とどのつまりは精神力、その次は「玉砕」で「靖国で会おう」になってしまいます。

戦争を考える場合において「観念の体系」はとても重要で、「富国強兵」といったところで訓練だけでは兵は強くならないと思います。アメリカにおいても「ヤンキー魂」があるように、日本には「大和魂」のような観念が変質しながらも日清・日露などを経過する過程で「砲の不足は大和魂で補え」とか「防御鋼鈑の薄さは大和魂で補う」と言うようになっていくこととなります。

この「観念の体系」が突出したのが太平洋戦争であり、多大な犠牲を生む背景となったわけです。では、ウクライナに攻め込んだロシアは、どうなんだろうと思うと、戦いだから兵士は勝とうと思うのは当然です。ロシアにとっての「価値の体系」とは、ウクライナのようにロシアに背を向ける国々に対する警告にはなります。

力の体系」は欧米が武器供与しなければ、ロシアはウクライナを抑え込んでいたと思います。しかし、ロシアの軍隊は、ウクライナの抵抗によって、思いのほか近代化しきれていないことが明るみに出てしまいました。

つまりは、この戦争は一人の独裁者にとっての「利益の体系」が突出していたと言えそうです。大東亜戦争・太平洋戦争は日本の軍部による「観念の体系」が突出することで体系のバランスが崩れていたことから惨敗することとなったように、ロシアも体系のバランスが悪そうなので、ロシア国民が目覚めさえすれば撤退するしかないように思います。

実は企業活動も、この3つの「体系」で考えることでバランスがいいかを判定することができそうだと思っています。しっくりする言葉で言い直すと、

価値の体系」「展望の体系」「リソースの体系

この3つで考えるというのはいかがでしょうか。「価値」とは自分と相手の利益になります。「展望」とは英語でいうならビジョンです。「リソース」は、人材や設備や知識、そしてお金とかになります。

このバランスが悪ければ競争優位には立てないことと思うといえば偉そうですが、書いているうちに真理を突いているような気がしてきました。