予定された報酬
「プロテスタント」についてGoogleに尋ねると以下のような説明でした。
プロテスタント(Protestant)とは、ラテン語で「抗議」を意味し、宗教改革によってカトリック教会から分離したキリスト教の信徒やその教派を指します。
プロテスタントの特徴は次のとおりです。
- 聖書を中心として、聖書の権威を重んじる
- 教権や伝統に頼らず、個人の信仰を重視する
- 聖職者と信徒の身分上の相違を認めず、万人祭司主義を基本とする
- カトリックのような行いや善行は救いの条件ではなく、イエス・キリストを信じる信仰のみによって救われると教える
プロテスタント教会は、カトリック教会と比較すると、礼拝堂が簡素で、十字架にはイエス像が付いていません。また、聖職者は「牧師」と呼ばれ、カトリック教会では「神父」や「司祭」と呼ばれます。
プロテスタントの教派は多く、これはカトリックや正教会のように教皇をトップとした中央集権的な発展をせず、常にカトリックのアンチテーゼとして発生し、統一組織を持たずに分かれてきたためです。
マルティン・ルターによってはじめられた宗教改革の事。ローマ・カトリック教会に対して叛旗を翻した。これは、カトリック教会にとっては致命的な「反抗」になる。なぜなら、ローマ・カトリック教会で、贖罪符(しょくゆうふ)を、信徒が購入することで罪の償いを免除されると信じられている証書が売れなくなる危険があったから。
このルターの考えを進めたのがジャン・カルヴァンの「予定説」。予定説とは、「神の救済にあずかれるかどうかは、あらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことは、まったく関係がない」というもの。
一般に、「報酬」と「努力」の関係で言えば、「報酬」が約束されるから「努力」する訳なのに、予定説では「努力」は関係なく、あらかじめ「報酬」をもらう人ともらえない人は決まっている(神が決めている)こととなる。
カトリックのみならず仏教でも「因果応報」を説き、善行を積むように勧めている。
これに対して、カルヴァン同様の予定説を説いたのがマックス・ウェーバーだそうだ。ちなみに、図書館にさっそく予約を入れた。
この宗教の話は、日本の人事制度の話へと向かっている。
「年功序列」と「終身雇用」のこと。これは「予定された報酬」を意味し、こうした雇用形態は労働の動機付けを減退させることが明らかになっているそうだが、いまだに日本では、やめようともしない。
兵庫でも明らかになったが、局長などという偉い人になると「不倫日記」を職務時間中に記録したり、人事情報を盗み見たり挙句はクーデターを企画したりするくらいに「やることがない」ことを露呈した。というのも、少しは努力をしたかもしれないけれど、それは出世の過程でしかなく、出世してしまえば「予定された報酬」をむさぼるだけだ。
つまり「終身雇用&年功序列」という神が与えた「予定された報酬」をむさぼる典型的組織が役人組織であるから、能率も効率も全く無関係で「予定された報酬」のレベルを上げること(つまりは定年後の天下りとか)だけに夢中になっている。
単純に「努力+才能→結果→評価→報酬」にすれば、企業は発展しそうなことであるが、取り組もうとしない。仏教では「因果応報」と言っているにも関わらず。そうした、能力主義は日本人のマインドに合わないとされてきたけれど、無能でやる気のない上司が充満されてくると辟易としてくる。
では、労働と報酬が正確に数値的に相関するプロ野球のような就業環境を歓迎するかと言えば、凡庸な労働者にとっての「能力至上主義」は地獄でしかなく、「終身雇用」&「年功序列」こそが天国だということ。
ここを変えずに「DX」という呪文を唱えるだけでは、神は報酬を予定してはくれない。