「悪意の科学」の何が科学か
Newsweek の記事中で目に留まったので、「悪意の科学」という本を図書館から借りてきました。サイモンというから外国人が著者です。ダブリン大学というからアイルランドの先生です。
書評が出ていないので、ほかの人の感想や意見を目にすることができません。
「悪意」についてアメリカの心理学者は「他者を傷つけ、損害を与え、かつ、その過程で自分にも害、損失が及ぶこともある行為」と定義しています。より広義には、「自分に損失が及ぶリスクがある場合」も含まれる とも書かれています。
利益と損失で考えると、「1.双方に利益をもたらす行為(協力)」「2.相手に利益をもたらし自己に損失を与える行為(利他)」「3.相手に損失を与え自己に利益をもたらす行為(利己)」「4.双方に損失をもたらす行為」の4つのパターンがあることになります。
本では、4番目を「悪意」としているようですが、3番も十分な「悪意」と思います。原文のタイトルは「SPITE」であり、補足的にかかれているのが「SPITE and the Upside of Your Dark Side」ということで、「人間の内面の中に潜む悪意と善意」について書いてあるのであって、悪意を科学的に分析しているわけではなさそうです。
出版社が、あえて先鋭的にするためにタイトルを変えているようで「悪意」を感じます。
悪意(あくい)とは、相手にとって害のあることを理解した上で行動すること、他人や物事に対していだく悪い感情、または見方のことである。また、相手のよくない結果を望む、心の中に生じる意思を意味する。
wiki
この解釈が一般的であって、本でとらえようとしているのが「双方に損失をもたらす行為」について、なぜそのような感情を持ったり、行為にまで至るのかを解明しようとしていると考えられます。著者曰くは、進化の過程で「悪意」が淘汰されなかった理由を追求しようとしているようでもあります。
ただ、冗長なたとえが多くて、若干、辟易としてしまいます。こうした翻訳本も、科学系の新書のように端的に話を進めてもらえれば読みやすいのにと思うところが多々あって、ほかにも読んでいる本があるので第2章から先は読むのをやめました。
ただ、面白いと思ったのは、知らない相手に8ドル、自分が2ドルもらえるとして、2ドルを断れば相手も8ドルもらえないといわれると、2ドルを拒否する人がアメリカの大学生で半数いたのに対し、ペルーの先住民では断る人がほとんどいなかった。断った人の考えは悪意ではなく、なにもしないのに利益があるのはおかしいと考えたからだそうです。
となると、悪意(というより損得)は普遍的(先天的)な感情ではなく、多分に後天的(文化的)なものであると言えそうです。
文明や文化が発達し、法律や道徳による規範を言われるようになると「悪意」が芽生えるのか、はたまた、不平等や不意条理の中で「悪意」を持つことで、自己がとらえる損失を代償できるとする感情が芽生えるのかはわかりませんが、ペルーの先住民とは異なる社会が、きっかけになっていることは確かです。
そして自己が被っていると認識している「不快」を「愉快」で穴埋めしようとする感情や行為が「悪意」になると考えられます。
SNSなどでは、そのような悪意の発露の場となりやすいようです。
スシローのぺろぺろのような行為は、不快の穴埋めや相手に損害を与えることで「愉快」が得られるわけではなく、単なるいたずら(当人にとっては純粋な愉快)のつもりであったものが、社会通念からして重大な「悪意=犯罪」をなしているわけで、そうした行為を根絶するためには罰則の強化は結構有効です。
戦後、大幅に犯罪が減った一つの理由は、「危険運転致死傷罪」が導入されたことで交通事犯が激減したことを上げることができると思います。根の深い犯罪傾向と違って「話せばわかる」相手には厳罰化は結構有効だと考えています。