教育制度の変遷

義務教育で学ぶ国語の時間

昭和26年の小中学生の国語時間に比べると、直近の制度では852時間も少なくなっています。

1969(昭和44)年の朝日新聞の社説に、ローマ字、ひらがな、仮名漢字交じりで各文字数について掲載されたそうです。それによると仮名漢字交じりで「104文字」が、ひらがなだけにすると「140文字」で、ローマ字では「283文字」になったそうです。

明治になってから近代化のために漢字をやめようという言語改革運動があったそうです。西周は明六社でローマ字採用を提唱したとの記録もあるようです。前島密も「漢字御廃止儀」を提出しています。

幕末には国学が吹き荒れ「カラゴコロ」のような漢学排斥のような動きもありましたし、そもそも「日本語」が日本国内において統一されていなかったことも大きな影響がありました。

日清戦争に勝ったあとに、漢字廃止論という意見も多く出されるようになりました。しかし、一方で東洋文化に関する関心が、今までとは異なる形で高まってきたのだそうです。明治30年代以降に儒学・漢学の復興運動すら起こるようになり漢字廃止論は成功しなかったそうです。

その背景にはいくつかの考え方あったようです。漢学を学んだ人たちが時の権力者になっていたことや、教育勅語で不足してるところを補充するために漢学が必要と考えた人もいたし、日清戦争に勝ったことから日本が東洋を背負うという自負を持った人もいたようです。

ポイントは、漢字廃止論に対して、日清戦争を境に多様な考え方が出てきたようで、1945年に敗戦するまでは漢字は温存されることとなりました。敗戦すると漢字廃止論を持ち出して「漢字の学習に多くの時間をかけていたのでは科学の学習が遅れ、永久に日本は欧米に追いつけない」という主張を持つ人々がGHQに働きかけたようです。

志賀直哉は「この際だから国語をフランス語にしよう」という見解を昭和21年に公表しています。

英語力の低さが「先進的ITの学習が遅れ、永久に日本は欧米に追いつけない」原因であることは事実ですが、ただでさえ現代人には難解になってしまった「源氏物語」から「もののあはれ」を感じることも、無理になってしまいます。