「枕草子」が描いた世界《其の10》

207段は「笛は横笛、いみじうをかし」で始まる。

遠くから聞こえて、だんだん近づいてくるのもいいし「近かりつるが、遥かになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし」とし、懐に携えていつでも吹けるようにしているようなしゃれた楽器はほかにない。

と絶賛している。

暁などに、忘れて、をかしげなる、枕のもとにありける、見つけたるも、なほをかし

男がきて、暁に帰っていった後に笛が忘れられているのを見つけるのも面白い。というのは、清少納言の経験談なのかは不明。当時の男は、女性のところに通ってきて、夜が明ける前に帰っていくのが礼儀で、それから文を使いに持たすというようなやり取りをしていた。

その際に必須だったのが和歌である。

人の取りにおこせたるを、おし包みてやるも、立文(たてぶみ)のやうに見えたり

立文」とは「書状の形式のひとつ。書状を礼紙(らいし)で巻き、その上をさらに白紙で包んで、包み紙の上下を筋違(すじかい)に左、次に右へ折り、さらに裏の方へ折り曲げるもの。折り曲げた部分を紙縒こよりで結び、表に名を記す」とあり、そのように包装して使いの者に渡したようで、笛を忘れたのもうっかりではなくわざとなのかもしれない。

平安京の町を横笛を吹きながら歩いている男がいて、その音色が邸内にも聞こえてくる。そんな時代であったようだ。

当時の貴族は、楽器をたしなみ腕前を競った。藤原定子にとっては、一条天皇が横笛を好んでおり、990年に11歳の時に元服し、その宴で自ら笛を吹いている。その元服の報告のために円融法皇を訪れたときにも横笛を吹いている。

円融法皇は息子に「赤笛」という天皇家伝来の名器を贈っている。

藤原定子が一条天皇に入内するのが元服の20日後のことで、一条天皇は日常的に横笛を吹いて定子に聞かせていた。

夜中ばかりに、御笛の声聞えたる、またいとめでたし」などということも書かれている。この文の直前には「子の刻(午前0時ころ)に主上が『だれか』と男どもを呼ぶ声がすることもあって、まだ仕事をしていたのだ」と感心している。

定子付きの清少納言の部屋まで笛の音が聞こえてくるのだから、一条天皇は定子に聞かせるために笛を吹いているのだなと清少納言は感激している。