「怖い」は「快楽」なのか
生物学的な恐怖反応は非常に複雑であり、扁桃体から前頭葉まで、さまざまな脳領域に影響を与える神経伝達物質とホルモンが関係している。
この複雑な反応が、ストレスのような不快な感情と、安心感のような快い感情の両方を引き起こす。
恐怖は、進化の過程で生き延びるうえで必須の要素であった。様々な生理反応をもたらす。恐怖の対象が消え去ったときには、恐怖に対抗しようとして全身が、臨戦態勢になっていたこともあって、その解放から満足や勝利の感覚を覚えることが多い。
人間が脅威を感じたときに放出する3つの重要な物質は、「アドレナリン」「ドーパミン」「コルチゾール」。
アドレナリンの放出によってわれわれの「闘争・逃走反応」が引き起こされる。アドレナリンとコルチゾールは、身体的な症状のほか、いらつき、パニック発作、悲しみといった感情的な症状に関係している。
ドーパミンは、より全般的に良い気分をもたらす。喜びや、報酬の期待や経験などに関連している。
「恐怖の処理に関係する脳の部位と快感の処理に関係する脳の部位はかなり重複している」という報告があるが、結局は、基本的な神経生物学からだけでは、「恐怖を楽しめること」の他の側面は説明できないというのがおおよその結論のようだ。
恐怖を体験しながら無傷で切り抜けることが満足感になるのは、脳の働きというよりは、むしろ心理の働きと考えるほうが答えに近づける。
そういえばダスティ・ホフマン主演の「わらのイヌ(Straw Dogs)」という映画で、追い詰められて行く過程で、だんだん、凶暴になっていく。これは、やはり心理的なものではなく、どちらかといえば万人に備わっているとはいいがたいけれど、本能的な「凶暴」性で、そこにあるのは「享楽」でもある。
「恐怖」と「快楽」が親戚のような感覚であるなら、「凶暴」と「快楽」は兄弟のような感覚といえそうだ。