脳科学と生命倫理における課題とは
2013年の記事を見つけました。アメリカの大統領は懐かしオバマさんでした。今から9年前に「生命倫理」に関して大統領評議会の会合で議論しています。
この時点で議論となるテーマを5つにして以下に紹介します。記事は「Newsweek」の2013.12.25の記事です。
《1》予測ができるのか?
アルツハイマーの発症が予測可能になるとしていますが、「犯罪」の予測も脳スキャンによって特定できるようになったらどうか みたいなことが書かれています。
スタンフォード大学の専門家にしては、愚かしいことを考えているものだと感心します。
《2》心を読めるようになるか?
2013年当時でマサチューセッツ工科大学の学生を対象にして顔か風景かを思い浮かべさせてどちらを思い浮かべたかについて85%の精度で言い当てたと言うが、どこまで本気にしていいか分からない実験だ。
しかし、近年の脳科学では見た映像を脳神経から再現するところまでは来ているが、「心」となると視神経から像を描くのとは根本的に異なるので「ちょっとなぁ~」という感じがします。
《3》責任能力
よく、犯罪が起きたときに「責任能力」があるかがニュースに取り上げられますが、その責任能力とは「帰結」に対する「予測」ができるかのことだと思います。
しかし、例として脳に卵代の腫瘍ができ、その場所が「判断」や「認識」を司る部位だったことで性衝動が抑えられなくなったという事例があるそうで、切除と同時に衝動が収まったそうです。この場合の「責任能力」をどのように考えるかは脳科学を利用しないと心理学者だけでは対応を誤る可能性がありそうです。
《4》医療への応用の範囲
脳腫瘍の治療と言っても限度があるはずで、この手の話になると治療する側と受ける側の視点がある、治療する側としては、治療することで人格が変わってしまうことへの関与は許されるのかと言う、いわば「神の領域」に対する「限度」の話。
他1つは「カッコーの巣の上で」にみられるような詐病なのか詐病を装うような異常なのかの識別を科学的にどこまで行えるのかという「範囲」の話。
《5》能力向上
学生が眠気を防止するために注意欠陥障害の治療薬を服用することがあるとのことだけれど、エスカレートすれば覚せい剤になるし、必ず副作用がある。
仮に眠気防止ではなく「記憶増進」や「創造性喚起」、「問題解決」のような薬が開発されたら、服用すべきなのかは、脳への負の影響を検証してからでなければ軽々に使うべきではないように思う。
なぜなら、「自分」とは何かといえば、とどのつまりは「あるがまま」というか「なるがまま」な範囲の中で喜びを見つけていくのが生きることであって、どのみち死んでしまうのだから急ぐ必要もないし、背伸びをする必要ないように思う。
まとめ
記事のタイトルに踊らされたけれど、内容が驚くほど希薄な印象をぬぐえなかった。
脳科学がどうのではなく、医療は神の領域に手を突っ込んでいることは間違いがない。それは「宗教」として「神」ではなく、「定め」あるいは「宿命」といった、どちらかといえば「摂理」の系から考えて、「死ぬべ時に死ぬ」のがいいような生き方と思います。
その昔、祖母が健在の時に「今日は死ぬのにもってこいの日」というインディアンの考え方が書かれた本を祖母にあげたら「嫌な本だね」と言ってたことを思い出しました。