「挑む」と「逃げる」
野田元総理が岸田総理に対して面白いことを言っていました。
防衛にしろ、子育て支援にしろ「兆円単位のお金が必要」なのに、岸田総理は、「兆」に「しんにゅう」つけて「逃げよう」とする。
しかし、国民が望むのは「兆」に「てへん」を付けて「挑んで」欲しいと思っている。
話は反れますが「木」に「兆」をつけると「桃」になりますが、なぜこうも「兆」が変化するのかは不明です。博識の士なら詳しい事情を知っているのでしょうが、浅学のワタシは野次馬的に面白がるだけです。
話は漢字のことではなく、説明から「逃」げるリーダーは、いないほうが結果はいいと思います。
森友学園で自殺者まで出した改ざん問題で、故安倍晋三元総理大臣は自分、もしくは妻が関わっていたら総理大臣どころが議員も辞めると言っていましたが、直接的関与はなかったと思うものの「妻」は重要な役割を果たしていましたが結果としてかかわった人たちはみんな(道義的)責任から「逃」げました。
ここを解明(挑めない)できない司法に諦観を禁じえませんでしたが、結果として自死を招いた責任を、当時の上司は「逃」げたわけです。組織を守ろうとしたのか、単に自己保身だったのか、あるいは、上司をかばったのかは不明です。
岸田首相の答弁を見ていると、自分の理解を超えている答弁は、ひたすら官僚のペーパーを読むだけで、それを何とか自分の答弁にしようとすると答えが却ってしどろもどろになり「え~」とか「う~」のような言葉でつなぎだすので、自己の信念が「そこ」にないことは明らかになります。
仮に、自己の信念が「そこ」にあるのなら「挑」む口調になり、とうとうと語れるはずです。
他人のことは何とでも言えます。自分は挑むことがなかったゆえに、さほど痛い目にも合わず、夜も眠れない辛い日々を過ごすこともなかったわけで、これは凡人の人生としては及第だったのかもしれませんが、同時に達成もなかったわけです。
ただ、いくつか「逃」げたこともあったようで、何も考えずに道を歩いていると突如として「禍根」として想起されることがあります。
「挑」まない、「挑」めないリーダーは、いかなる組織においても不要です。妥協や調整(根回し)することが大人のリーダーだとする考えも、昭和の発想です。
今の時代のリーダーは「挑」むべきであり、その結果に責任を持たずに「逃」げたり、決断ができないような人材は、最もリーダーになるべき人材ではないことを、岸田首相は日々示しているような気がします。