「相対」と「絶対」

その昔、「Z80」という8ビットのCPUがあり、そのハンドアセンブルをしていたことがある。CPUが8ビットだから整数域は256バイトしかない。CPUが16ビットになって整数域が「65,536バイト」になった。

256バイトの整数域に処理を展開するのだから1バイトでも少ないほうがたくさんの処理を書くことができる。絶対アドレス指定の命令を使うと8ビットのレジスタを2個使うことになる。相対アドレスなら1個で済む。

記憶は薄れているので定かなことは言えないが、絶対アドレス指定のほうが速度が速かった記憶がある。相対アドレスだと、最終的に原点に戻れないことが度々あった。

C言語のコンパイラが16ビットのころは、コンパイルするときの指定で「サイズ優先」と「速度優先」があったが、きっとこのような関係があったのだろう。

人生を考えてみると成長は決して「絶対アドレス」ではない。成長の都度、あるいは置かれた環境に適応(原点をシフト)しながら自分自身を変容させてきている。「変容」とはすなわち「相対アドレス」のことになる。都度、起点を変えてきている。

金持ちになれば、金持ちとしての原点から価値判断をする。権力者になれば、権力者としての価値判断をする。貧しかったころ、権力もなく虐げられていたころの価値判断であった原点は忘却している。

「評価」する場面を考えてみると、スポーツは相対評価できまる。マラソンでも、短距離でも一番早くゴールすれば優勝する。テストも同様に、難しかろうが易しかろうが、一番いい点を取ればトップになれる。

5科目のテストで500点満点で450点以上が「優」のような絶対評価にされると、難しければ「優」はいなくなるし、易しければ「優」がたくさん出てしまう。つまり、いろいろな面で「相対評価」の方が合理的であることは間違いがない。

人間社会では、場の状況に合わせることは軋轢を少なくすることができる、妥協的かつ妥当的でもある。

しかし、人生も終わりが近づくと、やはり人間は「絶対的な指針」を持たなければ黄昏(たそがれ)ていく意味を享受することができないことに気が付く。「絶対的な指針」とは「信念」のようなものと思う。

平家が驕ったのも「相対尺度」で栄耀栄華を極めようとしたからだ。

その点、現世の宗教家はいざ知らず、鎌倉時代などの宗教家は絶対尺度で庶民の救済しようとしていた。

鎌倉時代に「日親」という僧がいた。日蓮宗の僧である。日蓮は1222年生まれで1282年に入寂している。日親は1407年生まれで1488年に入寂している。二人に共通するのは、日蓮宗であり「不受不施」を説くためにすさまじい拷問を受けている。

真っ赤に焼いた鍋を頭にのせられたり、舌の先を切り落とされたり、拷問による弾圧を受けているが、信念を貫き通して82歳で入寂している。日親は山武郡埴谷の生まれ。

しだれ桜で有名な埴谷の妙宣寺を訪ねると、日親聖人は拷問で苦しめられる前に十指の先端を石で自らが潰したとも書かれている。これなどは「相対尺度」であるなら原点を変えて「転向」してしまうところだ。

山武市観光協会のホームページから借用(無断で)

ちなみに、「人の話をよく聞く」という総理大臣がいるそうだが、それは絶対的な「相対」尺度でしかなく、違う言葉で表せば「妥協(別名、バランスとか調和)」を以って良しとしているわけで、そんなリーダーが戦国時代にいたならば、瞬時に滅ぼされていた。今が平和な時代でよかったと思ってほしいものだ。

しかし、ご近所の国には「絶対」をもって君臨している君主たちがいるけれど、これはこれで国をあやめることは歴史が示している。「絶対」とは、生き方の指針であって権力の絶対性ではない。

日本も過去には権威に神としての「絶対性」を持たせることで、悲惨な戦争を起こす方便にされたことがあった。