判断と決断
「判断」と「決断」を調べると山のように記事がでてきます。はては、決断できなければリーダーになる資格なしのような、処世訓まで登場してきます。「決断」より「検討」が好きなリーダーもいるようです。平時はそれで一向にかまわないのですが、戦時に「検討」している武将はアウトです。とはいえ、間違った「決断」でも全滅です。
「決断」とは「判断に迷う場面で一つに決められる能力」という解説がありました。一つに決める能力(胆力)がないと「検討」することになりそうです。しかし、程度の差こそあれ「決断」には「イチかハチか」のような、蛮勇のにおいも感じます。
判断に迷わなければ「決断」するだけになりますが、ここで「検討」されると支持率は下がらざるを得ません。決断できないということは判断に迷いがあるからでしかないということになります。
第73回NHK杯テレビ将棋トーナメントの決勝で、藤井名人・竜王が佐々木勇気八段に負けた弁として「終盤、私の実力では判断がつかない場面が多くて難しかった」と振り返った。将棋では「判断」がモノを言うようです。
人生には「判断」がつかなくて仕方がなく「決断」する場面も少なからずあります。よって、決断さえすればリーダーの資質があるというわけではないようですが「決断」することはリーダーの権利でもあります。
「決断」といえば日本海海戦の東郷平八郎を思い出しますが、勝利することで有名になったZ戦法ですが「腰が抜けて声を出せなかった」などという揶揄もあるようです。同じ海戦でも、ミッドウェー海戦では、誤った「決断」によって主力艦隊を壊滅させてしまいました。かといって「検討」していても壊滅したでしょう。
年功序列の害悪は、年功だけでポストについている人材が、判断も決断も資質的にできないのに、稚拙な主観と役に立たないキャリアで「判断」し、アクションを「決断」することにあるといえば言いすぎでしょうか。
ところがハーバード・ビジネス・レビューでは「リーダーに何よりも求められるのは、優れた判断を下すことである。卓越したリーダーは、「ここぞ」という局面で、高い確率で判断を的中させる」とあり、ここでは「判断」が優先されていますが「確率」という言葉が登場しています。
こんな例がありました。例文:「明日は天気が崩れそうなので傘を持っていこう」
「天気が崩れそう」が「判断」で、「傘を持っていこう」が「決断」になると説明されていますが、「判断」の時点で意志は決定されていて「決断」されているわけです。判断に迷っているわけでもありませんから、このシーンであえて「決断」を持ちだした「判断」は例示として誤っていそうです。
ちなみに、マッキンゼーには「空・雨・傘」として「空」をみて「事実認識」をし、「雨」を予想して「事実解釈」をする。そこで「傘」を持つか判断をすると3段階で思考するフレームワークがあるようです。
さて、ここまで見てみると、藤井聡太さんやハーバードやマッキンゼーでは「判断」といい、判断に迷った場面で一つに決める能力が「決断」だとすれば、判断に迷いさえしなければ「判断」することになりそうです。
サリンジャーは、「ライ麦」の中で「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」というくだりがあります。これを「未成熟な人間の特徴は、理想のために『決断』しようとする点にある。これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために事実を認識し解釈したうえで『判断』する点にある」といいかえると、しっくりします。
結論
未熟な人間は「決断」をし、成熟した人間は「判断」する。