天国があれば地獄もある
15世紀にヨーロッパでは大航海時代を迎えた。そこで、世界各地に出かけていくと原住民が住んでいる。そこには、彼等の文化もあるけれど、ヨーロッパの人たちからすれば「未開の民」ということになる。
アメリカ大陸も同じようなもので、1492年にコロンブスが到達したのが最初ということになっている。その時の先住民の人口は分かっていない。その後、ヨーロッパから多くの人間が移り住むと同時に疫病が波状的に広がることで、ずいぶん多くの先住民が死んだようだ。
つまり、西欧流の「文化」が伝播することで、新大陸は地獄と化した。
芥川龍之介に「蜘蛛の糸」がある。お釈迦様がカンダタという悪人を助けてやろうと思いついて蜘蛛の糸を血の海に垂らしてやった。それに気が付いたカンダタが天国を目指して登ってくる。ふと気が付くと、自分の後から罪人どもがカンガタが登っている蜘蛛の糸を登ってきている。自分だけが助かろうとして「この蜘蛛の糸は己のものだぞ」とわめいた途端に蜘蛛の糸は切れた。
「利己」が地獄を象徴している話である。
こんな話もある。地獄に落ちると料理が山のように積まれているが、箸がものすごく長いので食べることができない。ところが、天国でも同じように山盛りの料理に長い箸がおかれている。
ところが、天国ではみんなお腹いっぱいに食べることができる。それはなぜかというと、天国では長い箸を使って相互に向かいの人に食べさせてあげている。
「利他」が天国を象徴している話である。
俗に「性善説」「性悪説」という捉え方がるが、ワタシは、そのどちらも信用していない。「善」だの「悪」だのは、道徳とか倫理の話で、戦前は天皇が「善」を象徴していた。時の権力者によって道徳だの倫理は揺れ動くものだからである。
では、「利己」や「利他」は、どうなのだろうか。アフリカ・ギニアでチンパンジーの研究をしている人の本を見ると、オスのチンパンジーは利他的行動をするようだ。
では、「利己」を皆無にして「利他」で埋め尽くせば、現世を天国のようにすることができるのかもしれない。が、イスラエルを建国した時、同じユダヤ教徒の国なのだから刑務所はいらないだろうと考えられていたが、すぐに必要になった。
それはなぜだろうと考えた。それではお釈迦様が気まぐれで地獄の血の海に蜘蛛の糸を垂らすことができなくなるからなのなので、そのために宗教が必要になるように仕組んでいるからだ。
そして、その宗教によって凄惨な殺戮が繰り返されてきたことを書き記したものが「歴史」という学問の主要な一部をなしていることから考えてみると、チンパンジーの利他は本能に基づいているが知性を持った人間の利他は「利己」に基づいている。
いまも、ユダヤ教という宗教を前提に盛大な殺戮を平然と行っている。