無能な上司
人を「無能」という前提は、自分が有能であると自負しているケースに限られるが、それは客観的な事実ではないことが多い。
『意外と多い、優秀な人が「無能な上司」になってしまう「シンプルな理由」』という記事があった。
1ページ目は中途半端な切り取り方になっていて、少し意味不明になっている。次のページへのインデックスが「ヒトは無能になる職階にまで出世する」となっているけれど、少し短絡的なキーワードになっている感じがする。
4つの仮定をしており、その仮定がそろうとこうなると言っている。どうなるのかというと、有る職階で有能だから次なる上位の職階に出世する。確率論で「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数になるという。その根拠は示されていない。
係長で有能だから課長になる。しかし、課長としては有能ではないから部長になれない。同様に、課長として有能だから部長になる。しかし、部長として有能ではないからそこから先にいかない。
で、組織は係長以上になれない人間が係長にとどまり、課長以上になれない人間が課長にとどまり、部長以上になれない人間が部長にとどまっている と言いたいようだ。
よって、時と共に組織の職階は無能な人間で埋め尽くされるということになる。
ただし、そうなるためには4つの仮定が満たされている時だけに限定されるようだけれど、あまり、関係がなさそうだ。
「無能な上司」というパワーワードが使いたかっただけのような気もする。そこで、「無能な上司」で検索すると、DIAMOND onlineの記事が見つかりました。
その記事では、「手を抜いたことを見抜かれる」「言い訳が通じない」「ルールを守らないと指摘される」というような上司を「有能」としています。その厳しさが「やさしさ」に思えたら、成長させてくれる上司ということになります。
逆に無能な上司として「人格否定」をする。部下を責める。このような昭和型の上司がいる組織では、成長を望みにくくなります。詳しくは、「とにかく仕組み化」という本を読むとよくわかるようです。
台東区の図書館には4冊あって本日予約(2024/8/11)を入れましたが、35番目になります。