職場を腐らせる人
「職場を腐らせる人たち」という本があるようで、台東区の図書館にも2冊ありますが23人待ちになっています。借りようとしている人たちは、「職場を腐らせる人」として自認しているから借りようとしているのか、はたまた、「腐らされている人たち」ゆえに借りようとしているのかはわかりません。
「職場を腐らせる人はターゲットを嗅ぎ分ける嗅覚が非常に鋭い」とあり、なんだかいじめっ子がいじめられっ子を見つける嗅覚と似ているようです。
職場を腐らせる人はプライドが高く、自身を過大評価しており、承認欲求をこじらせていることが多い。相手に非がなくても、勝手に悪意を抱き画策をする。職場を腐らせる人が、ターゲットをいたぶっていても、それを指摘する人も注意する人も周囲にいないことが多い。
そこで、やりたい放題、言いたい放題になっていく。石丸伸二さんは、有効なことは「反撃」だというけれど、状況による。それが上司で、かつ転勤族なら2、3年死んだふりをして調子を合わせていればいいけれど、転勤もない職場で定年まで一緒にいなければならないなら、我慢するか、やめるかしか選択はない。反撃をしても、こじれるだけになる。
「根性論を持ち込んだり、過大なノルマを押しつけたりする上司、あるいは何にでもケチをつける人や他人のせいにする人、不和の種をまく人や陰で足を引っ張る人」がどこにでもいるというけれど、そんなにはいない(と思う)。
まず考えられるケースは「独裁経営者」。中小零細に多い。特にデザインとか企画のような、少しでも才能を使うような会社では、親分あるいは上司が望んだ結果を出せなければ「無能」扱いをして居丈高になる。が、その求める水準が、実はエンドユーザーの求めるものとは異なる場合が少なくない。ある種、過剰であったり、自己満足から発している無意味なクオリティの要求であることは少なくない。
それを本人は「完璧主義」と自負していることが多い。独裁者の「完璧」を希求するために人権侵害を平然と行うことがまかり通っている。
こうした職場は、限界まで我慢するのではなく、とっとと辞めたほうが結果はいいが、日本の雇用環境は転職を好まないし、いまだに「終身雇用」という概念がこびりついている。同時に「組織を腐らせる人」は、おおかた「年功序列」にしがみついている。
石丸伸二が都知事に立候補したことは、ある意味、流動化を促す契機になればいい。徳島市長を1期やって民間に映った内藤佐和子も、流動化を実践している。地方議員も国政の議員も専業化することを禁じる必要がある。長くとどまれば、結果として「行政を腐らせる」人になる。