右翼と左翼
荘子を読んでいると、「善」と「悪」、「可」と「否」、「賢」と「愚」、「我」と「彼」のような対立する概念を出してきて、その片方が「善」とすれば、その対極は「悪」になる。そのことは同時に「悪」とされた側に取って見れば「善」であり、その相手こそが「悪」であるとなって対立が生まれる と言うような論調になります。
しかし、「右」から見れば「左」は「左」であって、同時に「左」から見れば「右」は「右」ですから対立しようがないことになります。
そこで少し調べてみました。そもそもはフランス革命において議長席から見て右側が「国王拒否権あり・貴族院あり」で、左側が「国大拒否権無し・貴族院無し」が陣取ったことから保守穏健派が右翼になり、共和核心派が作用になったと書かれていました。
それが語源だとして、日本での捉え方はどうなのであろうかと考えてみると、自分の拙い頭で考えるより、丸山眞男が右翼の精神的傾向として、「国家的忠誠の優先、平等への嫌悪、伝統の遵守、自由より秩序、家族と郷土の重視、権威主義の尊重、国民的宗教や道徳観の確立」などを信条とする傾向があると指摘しています。
日本には「伝統」の中、と言うよりは中核に「皇室」があるので、西欧の右翼と左翼とは少しニュアンスが異なる気がします。西欧では、「保守」か「革新」かでとりあえず分けて、そのなかでもそれぞれに急進派と穏健派がいるようなのと異なって、皇室が絡むことで多分に思想信条(宗教的)となる傾向があり、ややもすると論理から飛躍して「原理」になってしまう傾向も否定できない気がします。
その源流は江戸時代終わりころの国学にあるとする意見もありますが、国学は討幕の原動力になったけれど、明治初期の日本において(主としては山県有朋なのですが)富国強兵の原動力として天皇への忠誠を中核に置くことが、強さに直結するとことを看破したことが大きかったように考えています。
山県有朋が「天皇への尊崇」をいかにして実現するかに取り組みうえで、最も敵視し嫌悪したのが「自由」や「平等」という考え方でした。人間の摂理として知恵がつけば「自由」や「平等」を求めるのが摂理だと思うのですが、これを許せば効率的な社会システムの運営が困難になるわけです。
かといって左翼側の「自由」や「平等」で、社会システムが検算に運営できるわけではないことは自明です。現実の社会主義や共産主義が(理論や理屈は別として)「自由」や「平等」の最も対極で社会を運営していることをみても大きな仕組みを動かすのには不適であることを事実として示しています。
そもそも人間は「自分(我)」から拘束を受けているわけで、社会がすべからく当事者(我)としての価値観で統合出来るわけではありません。
結論からすれば可能な限り「自由」であるべきであり、不可能でない範囲での「統制」を受けることで社会は安寧を保てる。その「程度」は時代によって左右するものの、目指すべきはちょうどいよいバランスに尽きると思います。つまりは右翼でもなく左翼でもなく事と次第に応じて、それぞれを許容の範囲で受け入れるのが理想の社会なのだと思います。
右翼にしろ左翼にしろ、そのどちらかを思想や信条とすることは荘子が言う「対立」が生まれることになってしまいます。