世界の歴史は似たような出来事の繰り返し
「男を尊び女を卑しむの慣習、人民の脳髄を支配する我国に至ては、女帝を立て皇婿(女性天皇の配偶者)を置くの不可なるは多弁を費すを要せざるべし」。これが、日本における「男系男子」という言葉を明示的に書き残した井上毅の言葉のようです。
「男を尊び女を卑しむ」ことが日本人の脳髄にしみこんでいるという意見。これが「男系男子」の原点となる発想である。
126代の内、10代8人しか女性(女系も含む)天皇がいないのは、「男を尊び女を卑しむ」という社会通念からなのかはわからない。
例えば藤原師輔は、藤原忠平を父にして、長兄に藤原伊尹がいたにもかかわらず、藤原伊尹の娘は村上天皇との間に男児を産めなかった。翻って弟であった藤原師輔の娘の安子は、後の天皇を二人も生んだことで藤原北家の主流となった。
娘を天皇に嫁がせて男児を産ませることが、何よりも重要なこととなっていく。生まれた天皇は幼く、そのために摂政として藤原家の主流が繁栄していく。天皇は、とりあえず男児であれば資質は問わず(不敬な発言!)、母の家系・家柄で決まる。なぜなら、天皇として、いさえすればいいだけの存在であったのだから。まさに、象徴。
三条天皇に輿入れした藤原斉時の娘の藤原娍子は、男児を産んだものの藤原道長の執拗な嫌がらせと謀略によって皇太子であった敦明親王は、皇太子を辞退せざるを得なかった。
それで彰子が一条天皇とで生んだ男児が後一条天皇となる。
藤原家にとって、娘が天皇に輿入れして男児を産むことが、最も望まれることであった。そして、男児が何人生まれても、今度は男児を産んだ女性の出自(家柄)で、誰が天皇になるかが決まった。
このような仕組みで藤原冬嗣から道長までは、藤原家は安泰だったが、結局は長くは続かなかった。
その理由は、摂関政治から天皇が実権を握って院政を敷く時代になったという説明になるが、それだけのこととは思えない。違う説明では、武士が台頭してきたともいうけれど、貴族も武士も庶民の上に君臨して、庶民から税という形で搾取することにおいては庶民からすれば本質は何も変わっていない。。
徳川政権が薩長に敗退したのも、軍事力ではなくシステムの破綻と財政が原因であった。権力を握った薩長が当初目指したのは太政官制度であり、平安時代のような社会を目指したようだがすぐにほころびた。
薩長が目指したのはなんであったのかはよくわからないが、少なくとも庶民の幸福を最大化しようなどとは微塵も考えてはいなかった。単に、徳川の持つ権力を掌中に収めたかっただけだったのだろう。
明治、大正、昭和の天皇の葬儀は「大喪の礼」という古式豊かな葬儀であるが、実は飛鳥天平から孝明天皇までは葬儀は仏式であった。形式は奈良平安風の葬儀であるので古来からの伝統かと思ってしまったが、明治・大正・昭和の三代の伝統でしかない。同様に「万世一系」とか「男系男子」というスローガンも明治に薩長土肥で作った伝統であって、150年の歴史でしかない。
男尊女卑が社会的に定着するのは江戸時代からだと生成AIは答えた。その男尊女卑を根底にした「男系男子」をいつまで日本の象徴とするのかも、時代の中で決めていくことが必要なことだ。「男系男子」は日本古来の伝統でもないし男尊女卑を日本の文化とするのは、ちょっとまずい世界の潮流になっている。
世界の王権は盛者必衰を繰り返しているけれど、日本の天皇は「万世一系」だという。権力者であった天皇はそんなに多くはおらず、天皇の権威を使った権力者が入れ変わり立ち代わり登場しては消えていった。不敬な言い方をするなら、天皇が傀儡(権威)であったことが、長く続いた理由だったと言えそうだ。
明治・大正・昭和20年までは薩長に始まり軍部が権力者となったが、敗戦後は一応は民主的な政権与党ということになった。その多くを占める自民党も盛者必衰が目前に迫っているが、運がいいことに、野党に盛者がいなことで権力の座にかろうじてぶら下がっている。
しかし、与党も野党も「国民の幸福」などを主眼に置いてはおらず、有史以来、権力屋(石丸伸二さんによれば「政治屋」)が国民を睥睨し、搾取するのは全く同じ構図だ。
与党の権力が低下したいま、「国民の幸福」のための減税を行おうという機運が高まっているこの時期にこそ、時代の変換点の象徴として男尊女卑のシンボルでもある「男系男子」を辞めるいいタイミングなのかもしれない。
ただ、注意しなければならないことは政治の力が低下することは官僚の力が増大することでもある。彼らの共通の願望は「増税」と「天下り」である。これとて、国家が衰退すれば必滅であるが、彼等は自分の時代だけ「この世をば 我が世とぞ思ふ」ことができればいいと考えている。
権力を握る前は、どれだけ善良な人であったとしても、どれだけ勉強ができた人であったとしても、権力を握ると同時に帰結は面白いように同じになる。
貴族などという人種も、種族は「官僚」である。官僚の貴族化を押さえつけるのは政治力でしかないが、それはアメリカのように政権が変わるごとに貴族化した官僚上層部を入れ替える以外に、きっといい方法はない。
しかし、その官僚の能力に依存しなければ「おにぎり」もまともに食べられない政治屋には、国家が破綻するまで変えることはできないだろう。