汚い世界に一つだけの花

世界に一つだけの花
ジャニーズのヒット曲に「世界に一つだけの花」というのがあるが、あれは槇原敬之の作った曲だった。
ジャニーズという会社の経営者であるジャニー喜多川は世界にも例を見ないほどの犯罪者であった。その犯罪被害者も未曽有の数になっている。にもかかわらず、テレビや主要メディアは、その異常性を知っていても、ほとんど触れることが無かった。
被害にあった少年たちはもとより、テレビ関係者には周知の事実だったにもかかわらず。
「news23」が5月11日、被害者の証言などを詳しく報じた。メインキャスターの小川彩佳アナウンサーは「報道機関がどれだけこうした被害を報道してきたのか。少なくとも私達の番組ではお伝えしてこなかったという現状があります」と深刻な面持ちで語っていた。
2023/5/15 何かと噂の神戸新聞より
としおらしく語っていた。が、だから以降の報道でどうするのかについては何も語ってはいなかった。要は、風呂の中で屁をして自分で匂いを嗅いだことを語った程度でしかなかった。
権力の金で運営するオールドメディア
メディアは正義面して自己の感想を述べる場ではなく、論拠を示して権力を監視し、正義を貫こうとしなければ、とどのつまりは「フジテレビ」でしかない。
ここへきて、ヒーロー的タレントである中居正広が、セックススキャンダルをやらかしているが、相変わらずテレビや新聞では全く扱われていない。オールドメディアの芸能空間には「ジャニーズ凍土」や「ヨシモト凍土」が広がっていて、その上には「自民党凍土」という権力空間を固めていて、下手に口を開けば「唇寒し」になる。
小川彩佳アナウンサーが、まだテレビ番組に出演しているなら、どういう対応をしているのかが見ものだ。どうせ彼女も「正義ぶったこと」は言うけれど、「正義」は貫けるはずはない。所詮、テレビ出演で飯を食おうという時点で、汚い世界に自分という徒花(あだばな)を咲かせることで、通常では考えられないような報酬を得ているのだから。
報酬と引き換えの徒花
今回の中居正広の事件は、フジテレビの幹部社員が中居正広の被害にあった女性アナウンサーのセッティングに関与していた疑いがある。松本人志の事件では後輩芸人が女性を「上納」したという嫌疑で騒動になったが、今回の事件ではフジテレビの社員が関与して、なおかつ、フジテレビの女性アナウンサーを「上納」していたとしたら、政治が取り上げないわけにはいかなくなる。
自民党幹事長の50億円の使途不明資金
とはいえ、自民党幹事長の50億円の使途不明資金の流れでさえノータッチな司法や国税なら、ここでも「汚い世界に徒花を咲かせる」ことに積極的な忖度をするのだろう。
つまり、世の中のすべては言わないけれど、少なからずの世界は「汚く」できており、その汚い世界であっても花を咲かせようとするのがいいのか、はたまた、汚い世界をきれいにしてから花を咲かせるのがいいのかの2択でしかない。
えてして後者は「活動家」の理屈であって、えてして「あたかもの正義」に終始する傾向が強い。活動家も多様性の一部であり、不必要とは思わないけれど、例えば敵国が侵略してきたときに「戦争反対」と言われてもそれが国民全体にとっての正義を形成できるのかはわからない。
この世は汚さの戦い
例えば、資源のない日本で原発を稼働させることがいいのか、はたまた、化石燃料を言い値で買い取り、ウイグル自治区での強制労働で廉価に作られた中国製の太陽パネルで「再生エネルギーはクリーンだ」として電気代の高騰を受け入れるのかの選択でしかないことに近似する。
スウェーデンでは、化石燃料をゼロにするため原発10基を建設しようとしている。
理想を言って飯が食えるのは一握りの選民でしかない。減税をしようとするとまことしやかな顔をして財源論を言い出す。その財源をうまく調整するのが財務省の役人の役割で、それができないなら、それができる役人に変えればいいだけのこと。
減税にはうまみがないが、バラマキには業界や中間の政治家官僚の中抜きという「うまみ」がある。
無能集団が開花させる民主主義
とりあえず、減税に反対する政治家は選挙で落とす。それくらいの頭も使えない「無能」な「有権者」が作る「民主主義」とは、無能な権力者に天国を提供する仕組みでしかない。
そんな簡単に見えることが大衆において行使できていないのは、大衆は汚い世界しか知らず、花といえば徒花(あだばな)以外を見たことがないから、清廉な社会に対する希求を忘れているからなのかもしれない。
結果、バラマキと減税が大衆にとっての徒花(あだばな)となり、それが咲いている世界がいかに汚くても「よし」とすることで民度が低廉化してきたのは、芸能と政治とメディアだけではない。