日本が最下位
何が最下位か?
「デジタルデバイドを指導に入れるために必要な技術的・境域学的スキルを持っている教師」の数が2020年のOECDによる調査で79か国中、見事に最下位であった。
これは想像に難くない。小学校の教師は教育学部を出てくるのだと思う。その先生たちは、子供たちに理数教育をどこまで教えられるのだろうか。理数教育の周辺としてプログラミングや、いまどきならばHTML+CSSとか、スマートフォンの使い方、SNSの効率的使い方、セキュリティ、情報の検索方法、さらにはAIとの接し方などは、不可欠であるだけでなく、その危険性や有意義性などを、教員たちはどこまで示せるのであろうか?
ちょっと、視点が違うことになるけれど、東京大学医学部の教授で脳外科の先生が言うには、医者とは思うほど知的な仕事でもなく、思うほど理数の能力を使うわけでもないのだから、理数が得意な人材はもっとエンジニアリングに向かってほしいというようなことを言っていた。
医者はキャリアを積めば独立して開業することができる。同時に、報酬にも魅力がある。しかし、結果として国家の損失にもなりかねない。
石丸伸二さんは、安芸高田市の改革で教育改革をしているけれど、それは教師の過重労働からの解放であった。それも重要なことであるけれど、結局は魅力ある職場にするためには報酬含めて競争が働くような職場にしていかなければならない。
競争が働くようにさえなれば、外形的には人材の底上げができるようになる。さらには、横並び教育はやめて、教師の才覚で児童に合わせた教育ができるようにすることで教師同士を争わせるのような改革も不可欠である。つまり、文科省の関与など一切やめて、抜本的な改革が必要なところに来ている。
昔見たテレビ番組でオックスフォードで学んでいる学生にインタビューをしたら、その学生が「将来、教師になりたい」と言っており、その理由はオックスフォードでの教師とのやり取りから、「学ぶこと」「教えること」から自分が教育に関わろうという意思を形成されたというような内容だった。
教育改革とは、給食の配膳を教師がやらなくて済むようなレベルの改善だけではなく、教育の質を上げることにいずれは着手しなければレベルアップにはならない。
外形から入ることはおそらく近道として正解なのだと思う。外形が整ったところから内容に着手していかなければ本質の改革はできない。常に道のりは遠いのだけれど、とはいえ最初に一歩を踏み出さなければ目標は近づかない。
まず、教師の給料を競争が働くくらいに底上げすることから始めるのがよさそうだ。