スタインベックを読んで

スタインベックはカリフォルニア州モントレー郡サリナスで1902年に生まれた。「赤い小馬」によると、ジョディは10歳となっている。ということは、時代は1912年。日本は明治45年であった。7月30日から大正元年になる。

ニューヨークから4100キロ離れている。

ジョディが10歳のころ、父親の雰囲気からすると40歳前後な感じがする。とすれば母は30代後半あたりか。「赤い仔馬」の8割くらいが馬の話であるが、終わりころに母の父、つまりジョディの祖父が登場する。

1912年の40年前となると1870(明治3)年頃で、それから30年さかのぼると祖父が生まれたのが天保のころとなる。つまり1840年頃。

祖父の話では、東から西へ西へと移動する幌馬車隊のリーダーだったとのこと。この話は、祖父の自慢話で、ジョディの家に来ると毎回同じ話をするので父親は露骨に嫌がっているが、母親が父親をにらみつけている。

祖父は、みんなが喜ぶと思って拳銃の話やインディアンの話をするが、本当に言いたかったことは、みんなで西へ西へと進み続けた挙句に、ついに山々が見えたときにみんなで泣いたこと。つまり、みんなで一塊になって西へ西へと進んだことを言いたかったとジョディに吐露する。

それは神様のように大きなことで、ついに海岸に出たことで、旅が終わったということだった。いまじゃ、どこに行っても人が足を踏み入れている。そうじゃない。西へ向かっていたころの人には気概があった。今じゃ、どこへ行こうにも、居ても経ってもいられなくなるようなことはなくなってしまった。

もう過ぎたことなんだ と祖父はジョディに言う。

ジョディは、西海岸に出たのなら、そこから先は船で行けばいいというが、祖父の言いたいことはそういうことではない。祖父たちの旅は、未知の世界への旅であったということ。未知の世界への挑戦であったということ。何が起きるかわからないところへ一丸となって進んで到達したということであった。

日本が嘉永のころにカルフォルニアは31番目の州になる。東海岸から西海岸までの鉄道ができるのが、1869年というから、祖父が30歳ころになる。幌馬車でアメリカ大陸を横断してきたのだから1840年頃の誕生だとするとつじつまが合うが、それだとスタインベックが生まれた時点で70歳だから、ちょっと厳しい。1830年ころの誕生だと、話の辻褄があってくる。

馬は、最初に父親に買ってもらった仔馬が登場するが病気で死なせてしまう、次の馬は雌の馬に種を付けてもらうが逆子となり、母馬を殺して仔馬を取り上げる。が、馬がタイトルではあるものの、祖父との会話がメインのテーマとなっている。

途中で意味不明の老人が登場し、老いた馬を盗んでヤン脈目指していなくなるシーンが挿入されているが、これとて、ジョディにとっては未知の世界である「山の向こう」という世界が伏線として描かれている。

ちなみに「怒りの葡萄」は、1929(昭和4)年の大恐慌の10年後で、土地を奪われた農民たちのカルフォルニアへの旅を描いているというから、次に読んでみようと思う。