お前ら、何で馬鹿なのか

「ドラゴン桜」で阿部寛が正解を言っています。人のせい、国のせい、時代のせいと言っている限りルールを作った奴が笑っている。つまり、身近なところでは笑っているのは政治家と官僚。

金がない、地盤がない。だから、有能な人間は政治に関心を持たない。

それだから日本はダメになったといって、そうした有能な人たちに「政治参加」というプラットフォームを提供するというのが石丸伸二さんの「再生の道」。

ルールメイキングに参加するためには、民主主義は「数」が必要になる。「数」を集めるためにはアジェンダ設定が不可欠になる。

「テーマの重要性は、報道での言及量・頻度により決定づけられる」のであって、意味や内容ではない。「103万円の壁」も似たようなもので、103万円より178万円の方が減税効果があるのに決まっている。

むやみと消費税ゼロを訴えるアジェンダより、信ぴょう性があるようなイメージを与えることができる。

そこで不可欠なのはマスメディアをどうやって取り込むか、露出を上げるかにかかっている。これは、「再生の道」とて同様である。

無知(低民度)な人間に、いくら理屈を説いても徒労である。無知な人間には、感情に響く訴えが必要である。その最たるものが金のバラマキになる。国や都では選挙の前になると必ずやる。

国民民主党による「壁」に対しては、財務省はメディアと地方自治の首長を通じて「財源論」というアジェンダを国民に刷り込ませて否定的な総意形成をしようとする。

笑えるのは権力を監視するはずのメディアも、お茶坊主の評論家も「財源論」とまことしやかに言い出すが、予算配分を考え直して最善を考えるのが財務省の役人の仕事であって政治家の主要な業務ではない。予算も法律も政治家が作るなら東京大学出たたくさんの官僚などいらない。

アジェンダセッティングは重要ではあるが、そこに書かれている「理」ではなく、その「理」が当然のものであるが如くの刷り込みをしていかなければならない。それが、あたかも当然であるように流布していくことからルール・メイキングができるようになる。

その辺、政府広報や官僚はメディア操作に長けているだけでなく、公安や内閣調査室などを動員してネガティブな情報をリークして「敵」をせん滅しようとする。前科学文科事務次官は読売新聞にリークされたし、玉木国民民主党代表はフライデーにリークされた。

「理」で諭そうとしても無駄である。なぜなら、相手(有権者の多数派)は民度が低く、考えることより感じることを優先するからである。ここが、「企業」と「社会」との根本的な違いでもある。

「ドラゴン桜」のような話の原点は1965年の「青春とはなんだ」があり、1966年の「これが青春だ」もある。「これが青春だ」では夏木陽介に代わって竜雷太が起用され、成功を収めることになる。

「ドラゴン桜」も、熱血教師と劣等生という組み合わせは、似た展開と言えば似ている。セリフは少し臭いのと、「勉強」することは平等であっても、その効果は平等とは思えないが、主旨は汲める。

いまだにルールメーカーの掌の上で国民は馬車馬をやらされているが、最たるものが「消費税」になる。物を買えば消費で経済が回るのに、そこに「罰金」を掛ける魂胆が分からない。消費をどんどん向上させて、そこで儲かる企業から応分の負担をしてもらうほうがいいに決まっている。

農民に過酷な年貢をかけて武士はのうのうとしていた江戸時代と基本は変わりがない。

石破首相は、かつて「出生率を上げることに政治家が真剣に取り組まないのは、出生率が上がっても選挙権を有するまでに長い時間がかかる。それまで自分が政治家でいられるかもわからない」。だから政治家は、出生率より目先のことを優先するのだそうだ。

出生率をあげることを国家的アジェンダにして、それが有効であっても人口が増えだすのには50年、100年かかる。株価を上げることをアジェンダにして円安誘導をしてきたが、国民経済を上げることは池田隼人や田中角栄以来アジェンダにした政治は行われ来なかった。

政治とは、実現可能そうなアジェンダを分かりやすいスローガンにして大衆に思い込ませることが本義である。「美しい日本」や「楽しい日本」では「所得倍増」や「日本列島改造」に伍しているとは到底思えない。