オデッサ・ファイルとコリーニ事件

「コリーニ事件」はamazonのプライムで無料で見られるので、ずいぶん前に途中まで見ましたが中断していました。どのみち、新米弁護士が大活躍して黙秘を続ける被疑者の無実を勝ち取るぐらいのものだろうと思っていましたし、明らかに身分違いの男女の乳繰り合いもあって、最後まで見る気にはなっていませんでした。

どういう理由だったかフレデリック・フォーサイスの「オデッサ・ファイル」を読み始めて、まだ冒頭の部分ですがザロモン・タウバーの日記を主人公が読んでいる部分ですが、この部分だけ読んで「コリーニ事件」を思い出して続きを見ました。

映画の出来としては、いまいちでしたが、「本作で語られた“法律の落とし穴”がきっかけとなり、2012年にドイツ連邦法務省(当時)が省内に調査委員会を立ち上げた」とあるくらいの影響力を持ったようです。

つまり、1960年代に法律を作って、ナチスが民間人を虐殺した犯罪を「謀殺」から「故殺」にすることで時効が軽くなり、たくさんの元ナチ将校らが助かったとのことです。「コリーニ事件」では、そこに関わった法学の教授(恩師)をも糾弾していました。

いずれにしても、誰しもが(と言ってもそれなりに優秀ならば)戦時において将校だったら、どういう命令を出すのかという問題を突き付けているように思います。

コリーにが殺害した「人道的な大金持ち」が若かりし頃、ナチの将校でイタリアの村民を殺害していた。若かりし頃のナチの将校だった人間と、事業で成功して温厚で人道的な紳士と一つの線で結ぶことはできない。

ということは、「人間とは何か」という問題でもあります。あるいは、「あなただったら」という問いかけでもいいかもしれません。常日頃、声高に正義を語るような人にも聞いてみたいです。

オデッサ・ファイルに登場する「エドゥアルト・ロシュマン」は、実在の人間でカイザーヴァルト強制収容所所長として君臨し、楽しむようにユダヤ人を殺害したようで、wikiには35,000名を虐殺したとのことが書かれている。

戦後も名前を変え、身分を変えオデッサ(ODESSA)は、Organisation der ehemaligen SS-Angehörigen(ドイツの元SSのための組織、Organisation for ex-SS Members)の協力を経てアルゼンチンへ逃亡し、捕まりそうになるもののパラグアイへ逃亡途上で心臓発作で死亡したとのこと。

ロシュマンの死亡は1977年のことだそうなので、戦後、22年は逃亡し続けられたし、再婚もしている。アイヒマンは1960年に、同じくアルゼンチンでモサドに捕まり非合法的にイスラエルへ連れ出されて1961年に処刑されている。

オデッサという組織があったかと言えば、公的団体も非公的組織もあり、バチカンを筆頭とするカトリック教会やアメリカのCIA、チリやアルゼンチンなどの南アメリカ政府の機関、ロッジP2のような極右秘密結社が含まれていたとのことでもあり、それは「オデッサ・ファイル」を読み進めれば、何かが分かるかもしれないけれど事実関係は分からない。

補足

フランスで戦後、対独協力者を粛正したことを「エピュラシオン」という。1944年から1951年まで、フランスの公判廷では、死刑判決が6,763人で、実際に処刑されたのは791人だったそうだ。

ジャンヌ・ランバン、ニナ・リッチなど多くのメゾンがドイツ軍を新たな顧客として営業を継続していた。ココ・シャネルは店は閉店したものの、戦争中のほとんどの期間独軍支持の立場を公言していた。

石丸伸二風に言うなら「正義って何?」「人道って何?」「道徳って何?」

ザロモン・タウバーは生きるために「カポ」になりナチスに協力した。それを裁くのが「正義」なのかはわからない。自分がその場にいたらどうしたかもわからない。

ハンナ・アーレントは、アイヒマンを「凡庸な悪」の典型として描き出した。アイヒマンは、命令に従うだけの官僚であり、自らの行為の意味を深く考えることを使用とはしなかったといってコロンビア大学の教授の地位から追放された。

フジテレビに限らず、巨大組織の運営において「悪」である部分があったとして、それを「凡庸」として受け入れることが組織内での自分の椅子を守るのであるなら、多くの人は「凡庸な悪」を受け入れざるを得ないだろう。

例えば自民党の「裏金」しかりでもある。東京都知事執行部の「案」を只管受け入れる知事与党だって、同様だ。