ダニング・クルーガー効果

ダニング・クルーガー効果(Dunning–Kruger effect)とは、「自分の能力を過大評価してしまうという認知バイアスのこと」だそうだ。逆に、「能力の高い人については真逆の効果がある」こともあるらしい。

ダニング=クルーガー効果の原因については意見が分かれている。

不確かな自己評価によって、人は潜在的に間違った決定に導かれやすくなり、適任ではない仕事を選択したり危険な行動に乗り出したりすることがある。

自分の力量を高く過大評価してしまう傾向に、すなわち、自分自身を実像以上に有能であると理解してしまう傾向に関わってくる。ということは他人の評価を実際以上に低く見ていることでもある。

「愚か者はあまりに愚かで、自分たちが愚か者であることが分からない」という主張もあるけれど、ダニング・クルーガー効果においては知性面では当てはめてはいない。主として「技量」についての効果に当てはめている。

常に技量が低い人が上位の技量者と同等の技量を持っていると過信しているわけでもない。

技倆面だと客観的判定がしやすいけれど、十分、「知能面」でもいえそうだ。少なくとも日本の政治家を見る限りは能力以上に、当選回数に比例して自己評価を上げている傾向が顕著である。

影響

自己を過大に評価することで、能力以上のことを求められる場面に直面することがある

他者の評価に正統性がなくなってくる

自己評価が低い人は努力を惜しまないので差が開く(そういう人は政治家を志さない)

自己を過大評価することで実質と遊離するためコミュニケーションで問題を起こしやすい

トラブルの原因を作っても責任を転嫁しようとしたり糊塗しようとすることでトラブルを大きくすることがある

まとめ

よくあると思えるのは、周りに優秀な人間が多い職場では、どうしても自己を過大に評価してしまいがちであるが、それは虚勢に繋がり結果としてみじめな事態に陥る。

例えば、まぐれで東京大学に入れば、周りについていくことなどできるはずがない。職場においても同様の事。ただし公務員は別。仕事ができないふりをしていれば、難易度の高い仕事は回ってこないし、馘になることはない。

背伸びをしても背が高くなれるわけではない。かかとを地につけて見える視野で生きていくことが楽な人生になる。自分の弱さを知ることと、できないことを正直に認知することが自分を解放する。

ライ麦畑で「捕まえ人」をするのも、田舎で教師をするのも、それも生き方である。

能力や容姿に不平等がある以上、世界は平等に作られてはいない。足の速い人もいれば野球のうまい人もいるのと同様に、金持ちもいれば貧乏人もいる。善人もいれば悪人もいる。

ヒトラーが台頭して親衛隊に入隊したドイツ人のほとんどは、ユダヤ人殺りくに与した。それも、消極的ではなくむしろ積極的に。ということは善人も悪人も状況次第でもある。

自分が自分として生きることにおいては、ほぼ、平等と思う以外に救いはない。しかし、その価値は、ほぼ自分の中だけに閉塞しているのであって、「死ぬまで生きている」ことだけにおいては平等だと思う以外に、平等を考えるのは活動家ぐらいでしかないが、彼らだって、収入があればこそ活動ができる。

つまり、理想は空気のようなもので、腹が足りるものではない。