「再生の道」が目指す第2首都構想

「再生の道」党首の石丸伸二が「第2首都構想」を語っている。大阪の都構想において、「第2首都」を謳えば府民・市民の賛同が得られるだろうとも言っている。
首都直下が言われているのに立川に防災センターを作ってお茶を濁しているけれど、東京一極集中回避も含めると防災という観点から大いに傾聴すべきことでもある。
さて、首都はどのように決められているかというと法的根拠はなさそうである。ちなみに「首都圏」に関する法令はあるようだ。薩長による新政府にとって江戸が都合がよかったことによる。で、天皇を江戸に移すこととするが、しかし、そうなると京都の連中が反対をする。
東京を首都とする旨の声明を出さず、なし崩しにしてきた。便宜的に「奠都(てんと)」という言葉もあるらしいが正式に使われているわけでもない。
首都にとって「元首」は不可欠かというと、そうでもなさそうだ。離れていても問題はない。
天皇は「元首」かと調べてみると外形的には元首としての振る舞いはするが法律ではあくまでも「象徴」となっている。元首は、国内的には「統治権」、少なくとも「行政権」を掌握し、対外的には国を代表する権能を有することが求められる。
天皇を「元首」と呼ぶことの多くは「天皇の権威」の強化と政治的利用を意図しているとの指摘もある。海外から見れば「天皇」が「元首」として認識されているらしいが、これは慣例に過ぎないし、そのほうが都合がいい。総理大臣なんて使い捨ての泡沫のようなものであるのだから、ありがたみは全くない。
となれば、千代田区にある元江戸城の皇居とは別に大阪を第2首都としても不都合はなさそうだ。災害の観点を優先するならイデオロギーではなく「防災」と国家機能が優先されるべきである。
利口な人たちが集まっているのに、首都機能を千代田区から移そうとしないのかは不思議なことであるが、単にコストだけのことではなく、当然、官僚や自民党議員の利権も大きいが、皇居と天皇をどうするかにも解決困難な問題となってしまう。とりあえずは京都にも御所があるからどうにかすれば解決はできそうである。
となると、「第2首都」という言葉は大阪に住む有権者に対するパワーワードであって、石丸伸二氏特有の政治参加を高めるフレーズでしかない。
首都機能を分散すれば地域性が明確になり、人口減少時代の「ゆっくりまったり」な地方再生に少しくらいは寄与できそうである。
移民を受け入れている北欧や欧州では、国家というアイデンティティが破壊されつつある。日本においても埼玉のクルド人の問題は無視できないレベルになっているのは、いい例である。つまり、少なくとも日本において「移民」を受け入れることは世界的不正義であっても、国家的正義を優先するべきであることは欧州を見れば歴然である。
仮に受け入れを増やせば、必ず右傾化し、思想統制のような時代が幕を開ける。
飛鳥時代・奈良時代に九州から大陸の疱瘡が伝染し、人口の30%くらいが死亡したという。移民によって疾病が流行するとは思えないけれど、治安は間違いなく破壊され愛国教育が始まることになる。
「首都機能分散」は、大いに耳目を集め、多くの有権者の政治参加を促しえるものではあるけれど、インフレと長期金利の上昇による不況がくれば、かつてのドイツのように右傾化することとなる。そうなると「元首」の定義で再び悶着が起きそうだ。
まして、いまだに意味不明な「男系男子」に国連がいちゃもんを付けたことへの反論が振るっている。「皇族には基本的人権を与えていないから、男でも女でもない。よって差別は存在しない」とのことらしい。基本的人権がないとどうなるかというと、AIによると人間としての尊厳を付与する必要もないということになるらしい。