国家の尊厳

アメリカで新たな国王が誕生した。しかし、この国王は歴然として法律に基づいて国民が選んでいるから民主国家としての正当性が確保されている。
ロシアのプーチンも、一応は怪しい選挙で選出されていることになるが、どう考えても民主的ではないが国民が蜂起するわけでもなく、むしろ支持支援している風でもある。
中国は、完全に民主的ではないから、国民が選出しているわけではない。国家国民として正当性は、権力において抑え込んでいるだけである。
翻って日本はどうであろうか?
有権者が直接総理大臣を選んでいるわけではないから完全なる民主的選出とはいいがたい。敗戦後の43代東久邇宮から80年の間に103代石破茂まで60代の総理大臣が選ばれている。選んでいるのは、政権与党の議員で、一応体裁としては議員が有権者に選ばれているから「民主的」なことになっている。
そういえば、ほぼ、直接民主的に選ばれた小泉何某という総理大臣がいて、郵政を民営化したが、そのざまが今の郵便事業の帰結を招いている。こんなことになることは、前島密の時から分かっていたのに、それが分からないのが「直接民主主義」という愚策(茶番)である。
直近では故人となってしまったのでどうこう言うのは憚られるけれど、彼の人格や能力、見識を代表する「アベノマスク」「モリカケ」などだけで、もう食傷になってしまう。
トランプ、プーチン、習近平らと、日本の泡沫総理の違いを見比べてみると大きな違いがある。
彼らは少なくとも「王」である。役人は召使いである。破壊であろうが建設であろうが、あるいは歴代アメリカ大統領がやってきた「戦争」であろうが、彼らの意思で行うことができる。国の形(憲法)を変えることだってできるが、日本の総理大臣は、何もできない。
なぜ、何もできないのであろうか? 民主的に有権者が「付託」しているのに、国会で紙読むか料亭でうまい飯食うくらいのことしかさせてもらっていないからである。
では、実質的に日本という国家を動かしているのは誰なのであろうか?
それは「官僚」なのである。そのために東京大学があるといっても過言ではない。財務省を解体しろというような軽薄なことを言う政治家や外野もいるけれど、男系男子を辞める以上に難しい。
政治家なんて、官僚からすれば「かつぐ」だけの存在でしかなく、小泉何某以降(っそれ以前の総理大臣には関心もなかった)のように「軽ければ」誰でもいいのである。
なぜなら、財務省を解体した時点で日本は国家の体裁を維持的にであれ止めることになるからだ。それだけの器量と知能は、今の椅子座り名人たち(別称、議員)には備わっていない。
日本国憲法を超越し、当然のことながら皇室典範をはるかに超越し、茶番の選挙を超越し、トランプ、プーチン、習近平と肩を並べていることを自負しているのが財務省官僚であり、彼らこそが「国家」であると自負している はずだ。
ここを壊すためには、政治家の資質を上げることが大前提となるが、そのためには現下の茶番選挙制度を根本から変えなければ、ずっとこのままの財務官僚天国が続くだろう。
民主的とは「みんなのことは、みんなが話し合って決める」ことだそうだが、それなら必ず「平均以下」に沈んでいく。みんなが卓越した正義感や将来展望を持ち合わせているわけでもないし、まして国家観や憲法理念に精通しているわけでもない。
かといって、それらに精通している学者たちが政治家を選べば立派な民主国家になるかといえば、「学者」という偏狭的な人間の視野があまねく民族や人類の役に立ったことは、きっとない。
しかし、今のママが最良の選択ではないという前提に立つことが国民的コンセンサスになりさえするなら、いくらでも改良の余地はあるが、真っ先に抵抗するのが民意を代表しているとされている「椅子座り名人たち(別称、議員)」である。彼等は官僚不在では何もできないから。
その点、トランプとマスクの顛末が早く見てみたい。
ああ、笑止!