蝟集と門前雀羅
「蝟」とは「ハリネズミ」のことで、「蝟集(いしゅう)」とはハリネズミの針のように1か所にたくさん集中していることを意味する。
「四方から蝟集して来る羊の群れ」のような使い方とのこと。
「門前雀羅(じゃくら)を張る」とは、白居易の詩から取られているのだそうで、「門の前には雀 が群れ遊び、網を張って捕らえられるほどに訪れる人がない」ことを意味している。
芥川龍之介の「侏儒の言葉」に書かれている話で、用法を間違えた人が「蝟集」のつもりで「門前雀羅を張る」を使っていたが、多くの読者が通用させるなら、その意味になっていくということを書いている。
「門可羅雀」と言う言葉もあるようです。「門は、門という建造物よりも、その建造物の前後にある空間を指す」のだそうです。白居易は「門前雀羅張」と言う詩を書いているようで、「門可羅雀」のほうは「門前の雀に網」といっているだけで「張」が無くても通じます。
「瓢箪から駒」のような言い方に似ています。これも不思議な言葉で「瓢箪から馬が出た」とすれば「嘘つけ!」となるけれど、「瓢箪から駒がでるようなウソのようなホントの話」と言う意味で使います。
それなら「嘘から出た実(まこと)」のほうが実直な表現ですが、これだと驚きがありません。
芥川が言いたかったのは間違った運用でも、それが通用されて定着してしまうと、そうなってしまうということ。私小説を一度書いてしまって通用してしまうと、その作家が三人称の小説を書いても「私小説」と言われることを揶揄している。
林芙美子、室生犀星も私小説作家として批判されていたことを思い出した。