デフレにむしばまれている日本

GDPで負け続け
1人当たりのGDPで台湾にも抜かれてしまったようだ。人口が8千万人のドイツにも国別のGDPで抜かれている。
二言目には、日本の財政は健全だと御用学者は口をそろえるが、日本の景気が前に進んでいなことだけは確かだ。台湾を蔑視しているわけではないが、台湾に抜かれるということは、台湾より「景気」が悪いことだけは確かである。
デフレと若者
デフレ社会のマインドは、若者に希望を与えなくなる。デフレに対して、高度経済成長を経て供給力を持っている日本が、経済政策さえ適切であればこのような状況になるはずがなかった。
とするなら、やはり「政治」の無能に大きな原因があったといえる。
デフレ下では、借金は重しになるので経済活動も低下せざるを得なくなる。そんな経済状態が30年も続いている。
インフレと希望
インフレになれば、お金の価値が目減りしていくので借金もしやすくなるし、貯金より投資にマインドが向かうようになる。
では、どうするか?
安倍-黒田で長く「金融政策」を実施してたが株価はあがったけれど景気において功を奏したとはいいがたかった。
となれば、伝家の宝刀は「財政出動」以外に策はないが、政府、特に財務省は「均衡財政論」に対して異様なこだわりがある。
均衡財政論
収入の範囲内で支出を賄うという、ごく当たり前の話を国家運営に適用しようとしている。その背景には千兆円を超える「借金」の返済を想定している。
1975年、大平は税収減を補うため2兆円の赤字国債発行に踏み切らざるを得なくなったときに「一生をかけて償う」と言った。
戦後、初めて赤字国債を発行した1965年に佐藤栄作内閣で蔵相だった福田赳夫も「政府が財政支出で日本の景気を左右する時代はいずれ終わる」と語ったそうであるが、彼らが見ている地平線と、現下で財政出動を唱える政治屋たちとでは見えている先に大きな違いがあるように思える。
財政出動の弊害
無能な政治家が考える財政出動では、「フリーライダー」という、いわば「タダ乗り(特に老人)」が増えるだけで、経済的刺激に回らず、愚かな政治家の利権と選挙目的のバラマキ、ハコモノに使われることが、今の借金のほとんどを占めていることからも同様の帰結を招く。
財務官僚は、そこを見越している。
均衡財政が「健全」であるとするなら財政出動は「不健全」であるというニュアンスになる。当然、今使うお金は借金であって、将来取り戻せばいい。いま、大量にお金を使うことで景気が良くなれば税収は上がるから、結果オーライであるというのが「不健全」で無能な政治屋の発想の根拠でもある。
グローバリズム
トランプ大統領は、関税を引き上げて税収を増やし、その税をいずれは「還元」と称して国民にばらまくことを目指している。
製造業が国内回帰する保証は、きっとない。
ピケティが言うように「労働生産性」は「資本生産性」を下回る。つまり、汗かいて仕事するより、事務室でパワコン眺めながらお金をあっちやこっちに回している方が、はるかに大きな儲けを出すことができる。
さらに、人件費や、光熱水量、地代などが安い場所へと製造業が向かうことも止めることはできない。人件費等が廉価な国に資本家は巨大な投資をすれば、リターンも巨大になる。現地も豊かになる。
この動きを止めることは、途上国の発展も阻害することとなる。
つまり、水が高い所から低い所へ流れるように、お金は「欲」の向かうところへと流れていく。その流れを作るのが「グローバリズム」であって、止めるならトランプのアメリカのように孤立主義を貫く以外にない。
孤立を貫くためには「資源」が前提となる。日本にはできない。
日本の解決策
一にも、二にも信頼できる政治体制になっていない。これは石丸伸二さんも指摘していることでもあるけれど、与党だろうが野党だろうが、いまの「政治屋」は、一にも二にも「能力」があまりに不足している。
官僚は選挙がないので他者に媚を売る必要がない。「天下り」だけを考えて「政治屋」の無能は、逸脱を諫めながら「均衡財政論」に固執することが当面の最善策であるとせざるをえない。
人口減少が急速に進む日本国内に、財政出動しても消費喚起には回らないし、製造業の国内回帰も望めない。
よって、打開策は「ソフト」、つまり「アイデア」「能力」「無から金を産む」「イノベーション」ことを産業化することへ投資する以外にないような気がする。ようは、次世代のGAFAMのような錬金術を編み出さなければ、次のステップには上がれないだろう。
いまさら「自動運転」で世界を先駆けるというストーリーも描きにくい。
しかし、「再生の道」であれほど優秀な人材が世間に沈潜していたことを見れば、彼らの能力を活用できさえすれば政治を変えられる。そこから「再生」しながらイノベーション投資をしていくあたりが当座の「解決策」となれれば、いささかの光明が見えてくる鴨。
その前提として、霞が関の破壊的解体をしなければ実態は何も変わらない。それができる政治になることが先決。