中学時代の話《その1》

当時の八千代町には中学校が無くて、隣の町の中学校に分散していきました。自分が行ったのは習志野二中。ピサの斜塔ではないけれど円形校舎でした。
中学行ったら吹奏楽でトランペットやろうと決めていました。トランペットは3年生の石塚さんのだけで、後はコルネットでしたが、それでも満足でした。2年生は井出さんと広瀬さんでした。
中学では、日野と堀口というのと仲良しになりました。
尾崎に「15の春」という歌があります。
盗んだバイクで走りだす
暗い夜のとばりの中へ
自由になれた気がした 15の春
日野がいうには、「オレの家の隣のおじさんは、自分のオートバイにいつも鍵を付けたままだから夜に持ち出して乗ろうぜ」ということになって日野の家に泊りに行き、夜に抜け出してオートバイを生まれて初めて乗ることとなりました。
「盗んだバイクで走りだす」のではなく「無断で借りたバイクで走りだす」あたりのことで「盗んだ」ほどの罪悪感と、その反動の自由を味わったわけでもありませんでした。
円形校舎というと、英語のK先生が宿直の時に、何人かで行って学校に置いてあったスーパーカブで、校舎のスロープを上がったり下がったりして遊ばせてもらいました。
だから、円形校舎のスロープを上がったり下がったりしたのは、オートバイの運転ができるようになってからのことだったから14歳、中2あたりのことと思います。
で、この日野がサッカー部のキャプテンだったのですが、部員が10人しかいなく試合ができないということで、せっかく入った吹奏楽部を辞めてサッカー部に入ることになってしまいました。
部員が10人しかいないサッカー部って、今時、考えられないですよね。
石塚先輩のエピソードになりますが、当時「西部開拓史」という映画があって、その序曲を石塚先輩は映画館に入り込んだまま、何回も序曲を繰り返し聞きながら譜面に起こしてしまいました。そんな実力のあった先輩でした。
続く