AIによる「匠の技」超え
昔、印刷の製版技術者が印刷会社から独立した。かれは、相当な製版技術の匠で、その日の温度や湿度を見ながら製版に使う液の湯音のコントロールなどをきめ細かくすることで、バカチョンの自動製版機より画質がいいとのことであった。
しかし、それは自動製版機の「自動」のレベルをセンサーを増やすなどして対応すれば、「匠」と同等になるのは時間の問題であった。なにも「AI」が登場するまでもない話だと思う。
MIT Technology Reviewの記事によると微生物の培養で匠の技よりAIが超えたという話で、特に驚くようなことでもないと思う。特に生物の培養では、増殖の条件が明確であるなら、自動化の方に利点がある。
そこに「AI」が登場するとなると、センダーが送ってくる大量のデータから、微生物の増殖パターンを「AI」が学習し、増殖のロジックを自ら学習するところが、かつて「if~then~else」との違いであって、相続パターンが明確であるなら「AI」が登場しなくても済むように思う。
自動化、もしくはAI化のメリットは、属人性を消せることにある。ともすれば「匠」になると傲慢になるし、また、その技の継承にも手間暇がかかることになる。
ということで、人間がやったほうが安い仕事だけが人間に残ることとなる。人間の仕事で高いギャラを取得できる仕事として有名どころは弁護士と医者。この職域も実は「AI」のほうが人間の「匠」の平均より必ず上回る。
生産業などでは、熟練者に代わって安定的に生産できる技術の開発が急務であることは、AI時代になる前から「急務」であったし、それが「DX」などとも呼ばれていた。
ポイントは、人間がやるより安いか高いかだけになる。人間は飯を食うし、トイレに行くし、休みは欲しがるし、能が無くても出世したがるし、楽をしたがる。AIとロボットには、これらはすべてなく、欲もなく文句も言わず、ひたすら最大効率で働き続けることができる。
これは、資本家が最も求める労働の姿であることは自明である。アウトソーシングだのグローバリズムだのといった「奴隷的」労働環境で収益を上げようとしたことは、中国が異様な対応をする以前から時代遅れになりつつある。
しかし、自動化することで究極に生産性を上げることは出来るが、買う人がいなければ経済は成り立たない。そして、買う人はお金がなければ買うこともできない。結局は「AI」がどうのといったところでマクロで考えれば経済の問題に行きつき、それは政治の問題に行きつくことである。