Fukushima50とマニュアル
原子力発電所と言えば、マニュアルだらけのはずである。
点検結果や、故障などの修理履歴、会議議事録など、様々なドキュメントが蓄積されているはず。
中でも重要なのが「マニュアル」になる。
最近ではスマホを買っても、パソコンやプリンター買ってもマニュアルが付いてこなくなった。カメラにはあったような記憶もするけど、直近でカメラを買っていないのでわからない。
家電であっても、それが紙でなくてもマニュアルがなければ、細かな操作はできない。実際には、メーカーの説明よりも、ユーザーのネットにあげてある情報の方がよくわかることの方が多いけれど、それは消費財であり、売れ筋だから情報がたくさんあるのであって、原子力発電所や兵器となると市場にはマニュアルが公開されることはない。
例えば、アメリカやロシアには、山のようにICBMがあって、いつでも発射可能な状態にしているはずである。ICBMの燃料は液体なのだから、常に入れ替えているのかはわからないけれど、大統領が発射命令を出せば、即座に対応できるはずである。
しかし、それは発射に対するマニュアルであって、何を確認して、発射のための段階やチェックなどの手順は、常に訓練しているはずである。
もし、手順通りにやってICBMが発射されなかった場合の手順書などはどうなっているのだろう。
福島原発だって、いろいろな事態を想定して訓練もしていたはずだし、そのための指揮命令系も確立していたはずである。
「Fukushima50」という映画を見る限りでは、菅直人もどきの総理大臣は最低で、えばっているだけだし、東電本社でえばっている段田安則の演じている無能な幹部の映画での役割はネガティブで、佐藤浩市と渡辺謙らがポジティブな役回りになっている。始終怒鳴りあっていて、原発の管理体制って、もっとクールな技術集団なのかと思っていた。
なにより、最悪の全電源喪失に対するマニュアルが用意されていない感じは、事実なら恐ろしい気がした。最悪の事態に対していかに対処するかが文字化されておらず、よって共有もされていないで、あれだけの巨大な施設が運営されているなら、かなりやばい。古くから現場で働いていた職人が、被ばく覚悟でバルブを開けに行くことになる。
つまり、あれだけの施治部の運営が、最悪の事態に対しては「勘」と「経験」でしか対象ができていないことになる。
映画では渡辺謙と佐藤浩市を取り巻く職人たちが最善を尽くしたけれど、総理大臣が邪魔をして時間を喪失し、東電本社幹部が海水を入れるなと命じてくる。その根拠は官邸がストップをかけており、海水の不純物が原子炉に入ることが、どのような障害になるのか予測がつかない などと言っているうちに水素爆発が起きた。
現場のあれだけの無能さ、計画性のない中で水素爆発が起き、それでも死人が出なかった(けが人は出ている)のは不幸中の幸いでしかなかった。
結局、性善説に立つマニュアルでは、いざという時にはないのも同じということ。最悪のシナリオについても文字化し、共有しておく必要を感じた。
キネマ旬報社が運営するKINENOTEの「キネ旬Review」では、3人のレビュアーが全員、星5つ中1つの最低評価としている。うべなるかな。