xenophobic(ゼノフォビック)
大谷翔平選手が英語の通訳を介してメディアと話すことに対して、批判する記者がいる。その記者に対して「xenophobic(ゼノフォビック)」とする意見もある。
さて、xenophobic(ゼノフォビック)とは何を意味するのであろうか?
「xenophobic」とは、語源はギリシア語の「xenos(見知らぬ人)」という言葉に「phobia(恐怖症)」という言葉を加えさらに「ic」形容詞化するための接尾辞を加えたもの。
とすると、「見知らぬ人恐怖症」が語源に近い意味になる。
翻って、日本人よりも理路整然とした素晴らしい日本語を話すモンゴル人力士に対して、外国人力士としてしか扱わない日本人の「外国人嫌い」にこそ、xenophobic(ゼノフォビック)が使われるべきかもしれない。
ちょっと前には「攘夷」という言葉で、殿さまの行列の前を横切った外国人を殺害して幕府に忠誠を示してもいた。戦前は「攘夷」ではなく「鬼畜米英」だった。
ところが戦争に負けた途端に「親米従属」の4文字に変わって今に至っている。国家として、日本人の相違を国際社会に発言することもできず、アメリカ(以外にも強国・大国)の顔色をみるのが日本外交になっている。
唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に参加すべきだが、それもしない。さらには、アメリカの『核の傘』に頼り、『核共有』の議論まで起きている。
原子力で福島はひどい目にあった。原油価格が高騰してエネルギー価格も高騰している。結局は原発再稼働に傾かざるを得ない。太陽光に頼るとすると中国依存にならざるを得ない。
となれば、アメリカから言いなりでミサイル買わされて敵地攻撃能力をわずかに持ったところで、中国にミサイル打ち込めば原爆が飛んでくるだけの話。そうなれば、日本だって核兵器持つしか対抗手段(抑止含めて)はない。
話せばわかるといって、話してもわからない連中に殺害された宰相がいたけれど、今の中国に何を話したって会話は成立しない。アストラゼネカの社員以外にも17人も捕まっていたって、釈放の交渉や交換条件を出してもいない。
これは「xenophobic(ゼノフォビック)」ではなく、のび太にとってジャイアンが苦手なだけに過ぎない。なぜなら、自民党に政治献金や裏金作りに積極的に協力している経団連のほとんどの企業は中国に巨大工場を持っていて、自民党政治は彼らの意向もうかがわなければならない。
外国人は嫌いというよりは怖い。お金をくれる人の意に反することは出来ない。
このあたりは現実的な対応であって、そこでやりあうためには「胆力」が不可欠。戦後の日本人に最も欠如してしまったのが「胆力」。「バランス」などという「顔色を見る」言葉で逃げるようになってしまった。
自分がそうだからよくわかる!「配慮」「バランス」などという言葉は逃げ言葉でしかない。