「民主主義」と「選挙」

教員の雇用を守るために「教育」を犠牲にするのか、「教育」を改革するために教員を入れ替える(AIとインターネットを主体にしてリアル教員はサポートに回る)のかの選択をするかしないかだけになります。これはAI時代の医療も全く同様で、するかしないかだけのことでしかありません。

などと生意気を書いたら、もっと本質的な指摘を頂きました。

民主主義って
Triple B Consulting

小学校の頃のことです。3年生になったとき新任の先生が担任になりました。1学期の学級委員長は先生が選びました。2学期と3学期は立候補して選挙で学級委員長を選びました。この仕組みは3年から6年まで同じでした。

結論を言うと、3年から6年までで、先生が選んだ1学期の学級委員長が一番適任だった記憶があります。立候補した人材から選ぶということは、逆を言えば、そこからしか選べないということでもあります。

なぜ、学級委員長になりたいのか? より良いクラス運営ができるという自負があるのか? クラスを纏めるリーダーシップがあるのか?

2学期、3学期の学級委員長候補は、単なるノリのようなもので、プーチンや習近平のような権力が与えられるわけでもなく、クラスのもめごとを公平にさばける正義感があるわけでもなく、役割として駒を埋めるだけだったような気がします。

なにがいいたいかというと、立候補者の中から選ぶということ自体に「民主主義」が破綻しているということです。「なりたい奴」よりも、そんなものに「なりたくもない奴」の中にこそ、なるべき人材が多く潜在していると思うのです。

周りにコロナに罹患したという人がちらほら出ていますが、裁判員に当ったという人は皆無です。どういう基準で選んでいるかは不明ですが、きっと公平には選んでいないと思います。わたしは裁判員制度にはネガディブですが、前科があろうが暴力団であろうが公平に選ぶならまだ許容しますが、ブラックボックスで選んでいるならなおさらネガティブです。

裁判なども、過去の裁判記録からAIに学ばせて、判決はAIがするようにしたほうが裁判官という「人為」によるばらつきを是正できると思います。裁判員という素人が判断するよりはよっぽどましな裁判になることは間違いがないところです。

政治における民主主義でいうなら、年齢・性別・居住地などの人口構成から無作為に政治家を選ぶのがいいと思っています。平日は仕事があるでしょうから国会は土日に通年でやる。政党はやめる。寄付もパーティーもやめる。

政党助成金はいらない。国会はネットでやるから文書交通費もいらない。秘書はAIと政策コンサルタント会社を使う。選挙をやらないから、あの無意味で騒音の宣伝カーは走らない。立て看板もいらない。世襲もなくなる。

各論を考えると、いろいろ問題点がありますが、何をしたところで今以上に悪くはならないと思います。

官僚制度も一度、御破算(ごわさん)にして作り直したほうがいいでしょう。ここを壊さないと社会主義国家から脱することができません。