わからない人

昔、吉本の芸人が東京に進出した時、ダウンタウンの漫才が下品、野卑、洗練されていない感じがして「つまらない」と言ったところ「それだけ時代に遅れている」と言われた。

漫才というと、「てんや・わんや」「トップ・ライト」上方では「ゆめじ・こいし」のような、話術の妙が「芸」を感じさせたけれど、吉本のお笑いから「芸」をあまり感じられませんでした。

「芸」とは、洗練が不可欠で笑いは「妙」が不可欠と思うのですが、吉本の笑いや北野武の笑いは「天性」のキャラクタと「無理やり」が感じられました。これは洗練でもなく精進でもありません。

その前か後かは定かではないけれど、「F1」の中継放送で古館伊知郎さんがのべつ幕なしに用もないことをしゃべり続けるのがうるさく感じました。そんなことを言ったら、「それだけ時代に遅れている」と言われました。

つまり、人間は自分の主観の中に生きており、その主観が世の中とずれてきていることにも気が付かないものなのでしょう。

もちろん、世間並みを目指す必要などないのですが、世間一般の価値観との乖離には気を払うべきで、それを知ったうえで、自分の主観が崇高なのか時代遅れなのかを知ることも必要なことだと思います。とくに、他への影響力を持つほどに。

経団連の十倉雅和会長が「なぜ、これで支持率が上向かないのかふしぎだ」と言ったとか。岸田内閣が不支持なことが分からない人が経済界を代表する人だということに、世間は「唖然」「呆然」としたわけです。

もちろん、経済界を代表するような傑物が世間を徘徊する庶民の感覚を共有する必要など微塵もないわけですが、支持率が上がらない要因に思いを馳せることができないことには、大いに人格・資質・能力・適性を疑わざるを得ない発言だとしか言いようがありません。

岸田さんは、総理大臣になった時「ヒトの話をよく聞く男」の触れ込みでしたが、「調整」が上手な人は戦時のリーダーには向かないと思っています。「泣いて馬謖を斬る」ことができない人物はヒトの上に立ってはいけないのが世の摂理です。

「ヒトの話をよく聞く男」とは、決して聖徳太子などではなく、単に「妥協で泳いできた」ことを吐露しているだけに過ぎません。

それと、大将には信頼できる有能な幕僚が不可欠です。秀吉には黒田官兵衛や竹中半兵衛という軍師がいました。劉備玄徳には諸葛亮孔明がいました。

いい幕僚が付けばだれでもいい大将になれるのかというと、それは大間違いで、優秀な軍師は、優秀な大将を見抜く力もあるわけです。つまりは、優秀な軍師が付かないということは、そもそも大将の器では無いということです。

そんなことも分からなくても経済界の大将になれ、政治の世界の大将になるのだから、日本型の経営は能力とは無関係であることを如実に示しています。これが終身雇用・年功序列の弊害であり、日本を30年間停滞させてきた元凶であることを、彼らは身をもって証明してくれています。